Beaujolais Nouveauをきこしめしながら

あまからAvenue

言うまでもなく今日は11月の第3木曜日、ボージョレ・ヌーヴォーの解禁日である。何度も書いているようだが、これはボージョレ社の仕掛けた新酒祭りだから、それ相応に楽しめばよいのである。味がどうこうというのは野暮の極みであって、ああ今年も飲んだ、歳末だねえと思うくらいのものだ。

別に新酒祭りというのはボージョレ社の専売特許ではなく、日本酒の蔵ならどこでもやっている。ただボージョレ社の、おそらくは経営に参画しているポール・ボキューズの商売がうまかっただけで、それにお祭りごとが実は大好きな日本人にマッチしたということだろう。だからどうだということもない。酒を飲む口実なんて、何でも良い。

ワインというのは、いやおよそ酒というものは、若いときは若いなりの清冽さがあり、年を経たらそれだけの深みが出てくるのであって、どれを取るかというのは趣味の問題だ。いや、私はワインの世界を語るほどの持たないから、口に合えばうまいという程度のものである。

ただ、幸か不幸か、比較的いいワインを口にする機会に恵まれている。そして並のワインと飲み比べたこともある。日本酒についてもそうだ。ものの良し悪しというのは、やはり一度は最上級のレベルのものに接しないと分からないのではないかと思う。似たようなレベルの差を嗅ぎ分けるのは難しいが、ピンとキリ、といわずとも最上級と並くらいの差を味わい分ければ、ものの善し悪しのなんたるかが分かるようになるのだろう。

もちろんなかなかいいものに巡り会うのは難しい。値段が高ければ良いかといえばそうとばかりもいえないのであって、酒ならある程度価格で質が担保されているが、食べ物となるとそうはいかない。銀座の高級寿司屋が必ずしもいい仕事をしているとは限らないし、構えだけ立派で中身スカスカのレストランなんてざらにある。

私が味の基準にしている明石の名店「トラットリア チーロ」より高級なイタリアンレストランはざらにあるが、カリテ・プリを考えて足を運びたくなるかは別問題だ。よっぽどサイゼリヤのほうがいいと思える場合すらある。広島には何もない、訳ではなく、「ますゐ」なんて広島人がもっと誇るべき名店だと思う。ここほどカリテ・プリが高い店は、そうはない。

話を戻すと、目や耳や舌を肥やすには、一流のものに一度は接しないと駄目だということだろう。何も超一流でなくてもよい。高い評価が定まっているものに触れられればよい。いや、超一流のものには一度でいいから触れるべきだと思う。変な話、クラシック音楽を語るのにライヴとは言わずともベルリン・フィルハーモニークラスの音楽を聴いていなければ嘘だというものだろう。もちろん人間がやることだから、CDになっているからといってその質が担保されるわけではないが。

最近のカープファンがまったく勝利への欲求が強くないのは、実はホンモノの強さというものに接していないからではないか。あの3連覇の時でさえ、ホンモノの強さというものにはほど遠かったと思う、ひとことで言うと、選手の個の力だけで圧倒していただけだからだ。そこには戦術や戦略というものが存在しないのだ。それが日本シリーズや果てはクライマックスシリーズであえなく敗退した理由だと思う。

だから、見せられている野球の内容の悪さに対する反撥というものがない。今のカープの野球は極めてレベルが低いと思うが、それを所与のものとして淡々と受け入れているのである。まさにそれは”Sein”の世界である。いや、受け入れるだけならご自由にと思うが、もっと高いレベルの野球を求める我々を抑圧する側に回るのである。これがすなわち「ハジメ真理教」なのである。

そう思うと、少々のことでは体調が悪いなどとは言ってられない。あと何回こうやってボージョレ・ヌーヴォーを解禁日に飲むことが出来るかは分からないが、とにかくこれが霜月の祝い酒の延長戦になうrことを切に願っている。そしてそれを願う権利、いや希求する権利を、じゃまされることがないことをも。

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