創造なくして破壊なし。破壊なくして創造なし。

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どんなにクラシック音楽と縁のない人でも、Beethovenの交響曲第5番を知らない人は少ないだろう。いや、少なくとも第1楽章の冒頭の動機を聞いたことのない人はいないと思う。なんなら日本で一番有名なクラシックのフレーズだと言っていいだろう。次はBachのトッカータとフーガニ短調の冒頭か。

そうは言っても、Beethovenの第5番を通しで聞いたことがある人はそんなに多くないだろう。音楽の授業で寝ぼけ眼で聞いたとか、たまたま言った演奏会で聞いたというのが関の山ではないだろうか。ただ、聞いてみるとあの曲は実に恐ろしい趣向だ。すなわち、冒頭から最後までタタタターンのリズムで構成されてるようなものなのである。実にBeethovenという人は凄まじい人だと言うほかない。

そんなこと賢明な弊ブログ読者の諸姉兄には自明のことと言われそうだが、なんか創造というのはそういうものだと思ったりもするのである。もちろんBeethovenという人はそんな偏執狂ではなく、第7番など元祖ディスコミュージックの趣があるのだが。

一方で、これまた聞いたことあるクラシックのフレーズの第3位くらいに入りそうな「歓喜の歌」を含む第9番は、まさに破壊の音楽である。第1楽章から第4楽章の途中まで積み上げてきたものを、合唱の冒頭で「こんなん音楽じゃない」と言ってぶち壊すのである。でもそれからの合唱で新たな積み上げをして大団円となるのだ。好き嫌いはともかくとして、Beethovenは偉大なアーティストの一人であることは間違いないと言っていいだろう。。

正直、ものを積み上げたり、ディテールにこだわることは。比較的容易い。しかし。自分なりに考えたものの積み上げを一度破壊して組み直すというのは存外に難しい。手前味噌だが、自分で作り上げた仕事をもう一度スクラップして組み立て直そうとしているものがあるのだが。さてどうしよかと思っているところだ。ましてやアーティスティックな仕事は余計にそうだろう。

でも、壊すことが出来るのは、積み上げてきた者ののみである。いや、壊すと言ってもそのもとがショボかったら、ただのスクラップアンドビルドである。積み上げてきたものが大きいからこそ、その破壊行為自体がまた芸術になるし、そこからの積み上げがまた新たな芸術となり得るのだ。もちろん、その積み上げに失敗したり、破壊を放置していたりしたら、それは物笑いの種でしかないのだ。

しかるにカープはどうか。古葉監督は二度にわたって積み上げてきたものを壊して新たな方対を作ることで黄金時代を継続させた。それ意味ではまさにアーティスティックな仕事だったと思う。しかし、それをハジメは単にぶち壊した。そして何も積み上げなかった。それが「失われた二十余年」である。その後3連覇するが、これも無惨にぶち壊し、その残り滓をレガシィとして作り上げた振りをしていただけである。

私だって五十有余年生きてきているから、ものの善し悪しについては少しばかり分かる。はっきり言って、ハジメのやってきたことは、デタラメ極まりないまがい物の製造に他ならない。そんなものに騙される方もどうかと思うが、騙した方と騙された方はやっぱり騙した方が悪い。ただひとつ褒める?とするならば、ハジメというのは第一級の詐欺師、ペテン師だ。要するに、真っ先に排除される存在なのだ。

”おお友よ、こんなチームではない、もっと見ていて楽しいチームを作り出そうではないか。もっと喜びに見いた触れた強い赤ヘルを。”

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