続・ゆく河の流れは絶えずして

おもひで

すでに大きく報じられているとおり、今朝中山美穂が亡くなったというニュースが流れた。私もスマホに入ってきたのを見て驚いた。まだ54である。もっとも、先日柄にもなく書いたとおり、五十代から六十代にかけてはひとつの人生の山だと思えば、あり得べきことなのかもしれないと思う。もちろんそれは人ごとではなく、その五十代の折り返し地点にいる私にとって実感を持って感じられるところである。

中山美穂のデビューは1985年。だから私の世代ではまさにど真ん中のアイドルだった。年齢的に見てもひとつ下だからまさに同世代だ。ちなみに同時期デビューの斉藤由貴が3つ上、南野陽子がふたつ上。さらにいえばいわゆる「花の82年組」がほぼ同じくらいである。さらにいえば、アイドルというものがまさしく”idol”であったころから、「手の届くアイドル」になろうとした時期に当たる。それを押し進めたのが秋元康であることはいうまでもないが。

私はまさにヤンリク派だったから、アイドル全盛期をまさに一身に受け止めた世代である。ただ、これは歌には採点の辛い母の影響だったかもしれないが、別に誰になびくと言うこともなかった。せいぜい中森明菜や小泉今日子、荻野目洋子のベストアルバムを聴いたくらいだ。正直中山美穂は声が細いし、歌もあまり上手とは言えなかった(最初はね)から、そんなに一生懸命聴いていなかったのである。iPod中のライブラリにも、数曲しか入っていない。もちろん他意はない。歌は嗜好品だから、口に合うか合わないかだけの問題である。

話が些か逸れたが、やはり五十代というのは何かと曲がり角になる年代なんだろうか。中山美穂が天に召された直接の原因は分からないが、少なくとも何か体に異常が起こったからに違いあるまい。そう思うと、なんか自分も身につまされるのである。先日人間ドックの結果が帰ってきて、まあさしたる異常もなかったのだが、やはり少しずつ数値が悪くなってきたのを感じるのである。そう思うと、何か人ごとではないなと思ってしまう自分がいる。

正直なところ、私はくだらない仕事などさっさと投げてしまいたいが、それ以外のやりたいことなら山ほどある。だから、とてもじゃないが死んでなどいられない。病の具合が悪化した時を除いては、生きることに辛いと思ったこともない。胃がんで六十代で亡くなった母方の祖母や、難病のせいで70で亡くなった母のことを思うと、こうやって生きていることこそ贅沢だとさえ思うのである。

ずいぶんと無駄なながばなしになってしまった。昼間にニュースを見てから今まで、いろんなことが頭をめぐった。長明先生が言うとおり、しょせん人の世はうたかた、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる試しなし、である。ならば、やりたいことを徹底的にやろうでは亡いか。仕事なんてほったらかして。とはいうものの、そのためには先立つものが必要というディレンマがあって、なかなか辛いのである。

そういえば中山美穂がデビューした1985年は、これまた多士済々なタレントを輩出したアイドルの豊作年である。彼女はその中でもトップランナーだったが、奇しくも急ぎ星にもなってしまった。同年デビューと言えば、白血病で夭折した本田美奈子がいる。1年先輩には、残念ながら自ら命を絶ってhしまった岡田有希子もいるところだ。もうふたりに挨拶くらいしてるかな。

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