「投高打低」だからこそ

スポーツ

今シーズンはセントラル・パシフィックとも極端な投高打低現象が起きていることは数字が物語っている。そしてその原因は、どうやらボールにあるらしいことは、間違いないようだ。どうやら反撥係数は規定どおりのようだが、縫い目の高さ、皮の厚さ、あるいはボールの大きさ自体がコンマ何ミリ単位で違っているのかもしれない。その変化が誰のイニシアティヴで行われていたのかは興味あるところだが、今日はそれには突っ込まない。

少なくともカープの投手陣は、その恩恵を存分に受けているといっていい。チーム防御率2.18は12球団トップだし、個人に目を向けても非常にいい数字が並んでいる。少なくとも、ディフェンスで崩れることはあまりないといってもいいかもしれない。ただ、打たせて取るピッチングが持ち味のアドゥワや年季が入ってモデルチェンジに成功した大瀬良がいい数字を残していることに、この投高打低を読み解く鍵がある気がする。それもさておき。

この現象を見て、頭の弱いカープファンは、とにかく守りだ、「守り勝つ野球」だと息巻いているようだ。いろいろWEB上の言説を見ているのだが、まあ噴飯物だ。どんなにピッチャーが頑張って、加えて守備が頑張って、相手を0点に抑えても、こちらも点を取れなきゃ駄目なことはみやすい道理のはずである。ところが、それを理解できていないのではないかと思いたくなる言説が渦巻いている。

野球のオフェンスというのは、ピッチャーが投げてくる小さいボールを、細長いバットで打ち返すという、物理学的にいうなら非合理的なものだ。そりゃディフェンスの方が楽だ。飛んでくる球をグラブで捕ればいいだけだし、もっといえばバットに当てさせなければよいわけだから、その方が楽に決まっている。しかし、その不合理にチャレンジしないと点にならないのである。だからこそ野球というスポーツの魅力があるわけだ。それは、どんなに極端な投高打低になろうとも変わるものではない。

逆に言えば、投高打低だからこそオフェンスに神経を使わねばならないはずだ。逆に言えば、点を取ることの重要性がそれだけ高まるのである。だったら、もっともっとオフェンスを重要視しないといけないという結論に達する。しかし、なんかカープの現状はそうではない。守りを固めていさえすればよいというところが見え隠れしている。

ひょっとしたら、今のカープファンの多くは、点は勝手に入ってくるものという誤解があるのではないか。しかし、それが誤りであることは、スコアレスで勝てなかったゲームを積み重ねていることでわかるはずだ。でもわかっていないかもしれない。これになると何故か一部カープファンは殊更に守りが守りがと連呼するのである。

新井もわかっているのかわかってないのか、佐藤啓介を抹消して上本を上げるようだ。確かに上本はそれなりの率は残すかもしれないが、得点力という点での貢献度は微妙だ。実際、上本をありがたがってるのはカープサイドだけで、よそからしたら別にたいしたことないとでも思われているのかもしれない。

そういえば、昨日私はこのまま上本を昇格させたら由宇にシラケドリが飛ぶと書いたが、今日はくふうハヤテベンチャーズに2-4で敗れた。完全にオフェンスが沈黙してしまった。そういう悪い予感というのは得てして当たってしまうものだ。新井は盛んに上本のことを攻守にハイレベルな選手と持ち上げるが、そう言わなきゃ誰も納得しないという一面があるのではないかと勘繰りたくもなる。

そういいつつも、もうリーグ戦が始まる。いきなり相手先発は髙橋宏斗である。オフェンスを真剣に考えなければならない相手だが、大丈夫かな。こちらは床田を先発に立てるから少ない点を守る戦いになるだろうが、その少ない点すら取れないとどうにもならない。どうするつもりかな。スターター発表でわかるのだが、そこに見えるのは希望への試練か、絶望への苦行か。

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