プロ野球の応援に初めてトランペットを持ち込んだのは、市民球場のカープ応援団というのは通説だが、これが全球団に広まり、選手別応援歌というものが定着したのはたかだか40年くらいのことに過ぎない。
でもそれは私が熱心に野球を見るようになった時期と符合する。ちょっとばかし音楽の心得があって簡単な譜面なら書けるので、応援歌を耳コピして譜面に起こす作業を良くしたものだ。それから時は流れて、WEBで遊ぶようになってからは、古今の応援歌の収集専門サイトに出入りしたりもしていた。なので、応援歌という存在には、私は若干のシンパシィを感じているのだ。少なくとも、邪魔だから排除すべきだと結論は、直ちには取らない。
しかし、カープに関して言うと、少しく微妙に感ずるのである。応援歌というものは、選手を鼓舞させることにその存在意義があるはずなのだか、カープに関していえば必ずしもそうではない気がする。というより、聞いていて気が抜けるのだ。あれだったら、ない方がいいとさえ思う。
理由のひとつは、あまりにも下手すぎるトランペットである。私も吹奏楽というものをかじったことがあるが、あれは聞くに耐えない。しかも下手なくせに片手持ちで吹くなんて、音楽に対する冒瀆だとさえ思う。そりゃ絶対うまく聞こえない。もっとしっかり練習して、人前に出せるほどになってこらでてこいと思う。
その典型が、一回の攻撃前のファンファーレ、「軽騎兵序曲」のそれだ。本当にあれを聞くたび毎回ずっこける。あの曲は、実は構成はほとんどドミソであって、最後だけファ♯とソ♯なのだが、これが吹けなかったら論外の外というくらい易しいメロディーだ。要するに、今のペットは下手すぎて問題外なのだ。
もうひとつは、応援歌のレパートリーの少なさだ。少なくとも他球団なら、いくら若手の出だしでも、活躍したらすぐに応援歌ができる。而してカープはそうじゃない。要するによほど活躍しないと一人前と認めないぞと考えているようにも思える。まあサンフレッチェのファンのチャントもなかなか新作ができなかったから、広島人の構造的問題なのかもしれぬ。
これは私見だが、やはりここにはカープを取り巻く環境の構造的問題があると思う。昔はそうじゃなかった感じがするが、今の応援団は完全にハジメヒエラルキィに取り込まれて、カープファンの中でステージが高いものと扱われる一方で、ハジメに絶対服従という構造が出来上がっているのだろう。特に後者について見れば、何故かハジメ好みのチンピラにはすぐ応援歌ができる一方で、未だに田村の応援歌はないようだ。おかしい。
ついでに言うと、今のカープの応援歌には、やたらメロディが難しい曲が多い。メロディが難しいということは、それだけ吹くのも難しいということだ。特にチャンステーマはそうだ。私はクラリネットしか吹けないが、なかなか難しいよ、カープの応援歌。ならこれを吹きこなすだけのペットの技量つけようよといいたい。
なんとなくだが、今の応援団には、自分たちがファンを引っ張ってやってるという不遜な態度が見え隠れしてならないのだ。そうだとしたら、下手なペットでのうのうと応援歌鳴らしている(意地でも「吹いている」とは言わない。)のも、わかる気がする。
ちなみに応援団のペットの技量は、断然パシフィックのほうが上だ。ファイターズは東京時代から定評があるし、バファローズ(旧大阪近鉄)もうまい。まあ昔はお客さんが少なかったから、ペットの迫力で盛り上げるしかなかったというのもあっただろうけれども。マリサポくらいファンが集まれば、また別なわけで。
ならばカープも、マリサポのようにチャント方式にすればいいのかもしれないけどね。ただ、残念ながらそんなにファンの熱量が高くないから、中途半端に終わるかもしれない。
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