あれから、もう29年も経ったのかと思う。1995年1月17日。このことは、過去何度も書いてきたし、もちろん去年も書いた。どうせ同じことのリピートになるのは分かっているが、それでも書き残しておきたいという思いに駆られるのだ。昔と違って測ったように午前5時46分頃に目が覚めてと言うことはなくなったのだが、それでもこの日を忘れることは、ない。
私は京都市民だったし、住んでいたところはきっと地盤の強いところだったはずなのだが、揺られている間は生きた心地がしなかった。よく棚の上のものとか落ちてこなかったものだと思う。その間、なすすべなし。とにかく動けないのだ。その経験があるから、私はおざなりな避難訓練などやる気になれない。しかし、やらねばならないのであるが。
その後の記憶は、実に曖昧だ。さっそくラジオを付けたらABCラジオのパーソナリティだった故毛利千代子さんの悲痛な声。さらにテレビを付けたら、状況がまったく分からなかったことは覚えているのだが、あれだけのことがあったにしては記憶は途切れ途切れである。あるいはあまりにも多くのことがありすぎて記憶がパンクしてしまったのだろうか。
幸いに京都というのは揺れただけで済んだのであって、なんやかんや言ってすぐに日常を取り戻したことは覚えている。しかし、私の住んでいた京都市左京区のコンビニですら、おにぎりや惣菜の類い、飲料水は軒並み売り切れていた。これは必要とされた方の買い出しがここまで及んだのか、あるいは便乗買い占めだったのかは、わからない。もっとも、翌日にはそんなことはなかった。後者だったとしたら残念だ。
それにしても、直接の被災地の様は壮絶だった。家屋の全壊と言ってもなかなかイメージしづらいかもしれないが、家が一軒ぺちゃんこになってかつ粉々になっているのである。そして大規模火災で焼け落ちた長田区の状況は、言葉には出来なかった。とにかく無情と言うのみである。一瞬にして日常が失われるのを見ると、本当に言葉にならない。
そんな1月17日も、今年は何事もなく過ぎていく。それがあるべき姿なのだが、その後の東日本大震災や今年の能登半島地震をみるまでもなく、そんな日常を一瞬で圧殺してしまうのが地震なのである。しかし、現状では地震の予知というのは限界がある。せめてそういうことがないのを祈るほかない。
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コメント
あれから29年か…。
私もあの日は一生忘れていません。
あの日、大きな揺れで目が覚めた。
最初は「夢かな?」と思ったが
夢ではなかった。
ウチの地域はガス・電気・水道全て止まった。
日常が戻るまで1か月半かかった。
長田に住んでいた友人は自宅が全壊して
亡くなった…
それが私が初めて「人の死」を感じた時だった。
因みに私は東日本大震災にもあっているので大震災を2度経験している。
なので、何もない日常は本当にありがたく感じている。