午後11時のモノローグ その134

昨日は、高校の部活の同窓会で姫路に出ていた。久しぶりに広島から鈍行を乗り継いで姫路に向かったのである。もちろんすべて電車なのであって、汽車旅というのは本来おこがましいのだが、なんか旅をしたなという感じがした。帰りは諸般の都合で新幹線を使ったのであるが、あれはあくまで移動手段であって「旅」とは言えないのかもしれない。

そんな「旅」の最中は、あるいは宿でぼんやりしている間は、やはり憂き世からは離れて脳みそがクリアになっているような気がする。もちろん本業のくだらない雑務はきれいさっぱり頭からなくなるし、そもそも旅先でまでこんな雑文を物する気にもなれない。いわば非常に正常な思考回路になっているのだろう。もっとも、だからといってそんなときにまともな文章が書けるかというのはまた別問題なのであるが。思考回路の正常さは吐き出された文章の品格とはリンクしないのである。

まあ、私の場合はそんなときに何かものを考えることなど出来よう訳もなく、ぼんやりと断片的にいろんな事が頭の中に去来するに過ぎない。それでも今日は連休の中日、たいして書くこともなく、雑ネタをぶち込むには適当かと思うので、そうすることとする。

さて、2日に私は昭和を彩った音楽のTALENTが旅立ったのと引き換えに、残された者どもの音楽が貧相になっていっていると書いた。これは伊達や酔狂で書いたのではなく、全くの本音だ。特に令和になる前当たりからその傾向顕著である。蓋しそれはボーカロイドに歌手が影響を受け始めたせいではないか。いや、はっきり言ってボカロの真似をしている。そしてそのせいで、日本のミュージックシーンの衰退に拍車がかかっていると思う。

それでも一人くらいボカロのテクニックを人間の歌手が歌うようにうまく取り込んで聞かせる歌手が出てくるのではないかと思っていた。しかし、今のところ誰もそれに成功していない。幾田りらくらいかな。それでも彼女の歌声には表情がない。だからテクニック的には優れていてもいい点は付けられない。Adoはボカロの影響を強く受けてるのが丸わかりだが、歌としては全然駄目。特に昨年の「唱」なんてがなっているだけで聞くに堪えない。

でも、これにもやっぱり伏線があって、その源流と言うべきなのは「カラオケで挑戦しがいのあるテクニックがちりばめられている歌」が尊ばれるようになったことと推測している。その典型は広瀬香美の「ロマンスの神様」や「幸せをつかみたい」だ。でも彼女の歌にはまだ情感があった。今は本当に、高度な技巧が使えればよしという風潮になって、感情とか表情とか陰影という言葉が過去帳入りになってしまった。だからつまらないのではないか。

だから、粗製濫造される歌は歌詞も曲も雑でただ難しげに歌うことが聞かせどころに成り下がってしまっている。私も昨年末にテレビでいろんな歌に接したが、心に刺さる歌詞、刺さるメロディというのは絶無に近い。一番心動かされたのは「オトナブルー」だが、あれはよく聞いたらまるっきり昭和歌謡テイストだ。ラストの歌詞「おーいかけておーいかけて」は吉幾三の「雪国」(譜割りは違うけどね)、「ブルー」で終わるのは渡辺真知子の「ブルー」を彷彿とさせる(影響を受けているのかどうかは寡聞にして知らない)。

最近の歌手で、いい歌を作るなというのは、もはやあいみょんくらいしかいなくなっている。彼女は本当に太い歌詞を書くし、メロディーもよい。特にあれだけ刺さる歌詞が書ける人は、そうはいない。秋元康という人は嵌まれば非常にいい詩を書くのだが、そうでないときはそれなりでしかないし、近年その確率が低くなっている気がする。

そういえばあいみょんと言えば、歌い方が実に素直だ。クラシック畑のトレーニングを受けているわけではないようだが、非常に聞いてて耳に心地よいのだ。なかなか最近はそういう歌手が少ない。MISIAなどいい声を持っているのに、最近の歌い方は妙な癖があって、なんであんなにこねくり回さなきゃあかんの?といいたいくらいである。実にもったいない。

私は、音楽に関しては多分にピアノの講師をしていた亡き母の影響大である。かつても書いたが、松田聖子が出てきたときには二言目には「下手くそ」といっていたし(彼女だって平尾昌晃に師事していたのだが)、二十年くらい前だったか、五木ひろしでさえ「全然駄目になった」と言っていたくらいそもそも採点が辛かったのである。その影響を受けているから、本当に今のミュージックシーンは見てられないのだ。いや、今「ブギウギ」で再びスポットライトが当たっている淡谷のり子などは、さぞかし天上界で「こんなの歌じゃない」と仰っているに違いない。そりゃ東洋音楽学校(今の東京音大)声楽科を首席で卒業し、かつソプラノ歌手としてファルセットを完璧に叩き込まれているから仕方あるまいが。

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コメント

“午後11時のモノローグ その134” への1件のコメント

  1. Иван Ивановичのアバター
    Иван Иванович

    ボカロと共に暗躍しているのがDMT(Desktop Music)で、さらに遡れば1957年に発表された大型計算機「ILLIACⅠ(イリアリック・ワン)」を用い自動で作曲させ、イリアック組曲(ILLIAC Suite弦楽四重奏)を自動演奏させている。歌謡ポップス界隈の現状は、日本に限らず欧米でもそういう電子機器による作為的操作に依存している。
    また、米国の大物・大御所歌手では、ブリトニー・スピアーズ、ビヨンセ、マイケル・ジャクソンは口パクで有名。ビヨンセは、バラク・オバマ元大統領の2期目の就任式の際、口パクで国家を斉唱したと騒動になった(当人は口パクを認めている)。

    日本のミュージックシーンが衰退しているというより、元々歌謡界のレベルってそんなもんでしょ。欧米ポップス界も似たようなもの。スタジオで作製・録音する音楽は、ダブル・トラッキングと呼称され、音質補正や聴感上の響き方などを変えるためオーバー・ダビング(多重録音)されている。クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」では、ボーカルの多重録音が何度も行われ、オペラの大合唱のようなサウンドを作り上げている。俺が小学生の頃、クイーンの前身・スマイルの時代から直に観ていた(ブライアン・メイの母校でもある名門大学インペリアル・カレッジのライヴ)が、クオリティが低すぎて大ブーイングを浴びせられていたからなぁ。言っちゃー何だが、クイーンのライヴ演奏は上手とは言い難い。上手に聴こえる時は、舞台裏でDTM補正をやってる。クイーン以外もポップス・ロック系のライヴは、9分9厘バックでDTM補正やってるよ。

    欧州のクラシック(楽器も声楽も)、日本の長唄、箏曲のような伝統的音楽のプロは、幼少期から1日最低10時間は練習するので、成り上がりのポップス・ロック系ミュージシャンとは一線を画している。
    そりゃ、2~3歳から徹底的に英才教育を施され、さらに音楽院や音大で徹底的に鍛えられる。それだけ本格的に取り組んでも、その中から一流の歌劇団やオーケストラの舞台に立つ音楽家は1%にも満たない。

    著名な国際コンクールの決勝では、課題曲演奏に加え即興で自作の演奏も披露しなきゃならないケースもある。そういう訓練を積んでいる本格派の音楽家がクラシックの拘りを捨て、大衆音楽界に参入してくれば雰囲気がガラッと変わって盛り上がると思うけど・・・彼らはプライドが高いからなぁ。中々大衆音楽界に降りてこないのが残念。

    やはり、スポーツにしても音楽にしても、本格派の極上プレイヤーがお出ましにならないと、観る気が失せる。

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