La raison d’être des libraires

カープのことばかり書いていると何かと飽きるし、そうそう面白い話もないし、脊髄反射でニュースをなぞるのもつまらないし、要するにたまには真面目なことも書いてみることとする。

私はきっと本をたくさん買う方だが、ほとんどの場合その入手先はAmazonなどのオンライン書店である。リアル書店のお世話になることは、残念ながら少ない。ある意味書店の衰退の片棒を担いで出いるのかもしれないと思う。しかし、私に言わせれば、書店の衰退の原因はAmazonなどの巨大WEBモールの出現以前にあると思う。蓋し、売れ筋の本を漠然と並べるだけのつまらない書店が増えていたからと言うべきだ。

広島で言えば、フタバ図書の衰退などその典型である。メガとかギガとか図体の大きい書店をあちこちに作ったが、並んでいる本は売れ筋の平積みばかり。要するに書店員の目利きとか矜恃とかいうものがないし、ここに行けば何か面白いものがあるというわくわく感もなくなっていた。今はTSUTAYA傘下になったからどうかは分からないが。

一方で、大型書店であるジュンク堂と丸善は、いつ行ってもわくわく感がある。なんといっても、本の品揃えが違うのだ。こういう本を仕入れてこうやって売りたいという哲学のようなものが感じられる。だから行く度に新たな発見がある。同じ大型書店でも紀伊國屋書店はその限りではないから、たくさん本があることイコール魅力ある本屋ではないのだ。

しかし、ジュンク堂はエールエールA館への中央図書館の移転問題が、丸善は八丁堀の天満屋ビルの老朽化があって、いつまであるか分からない。もしこの二つが広島から撤退したら、もはや広島は文教都市としての看板を下ろさなければならない。最初からそんなもんないけど。それが松井一實のうすのろには理解できないらしい。お題目のように反核平和を唱えていれば選挙に通るという不可思議な街は処置なしなのかもね。少なくとも、読書家の住む街ではなくなっているのかもしれない。

私に言わせれば、本はAmazonで買えばいいからと思う向きは、知的レベルの低い縁なき衆生である。これはAmazonに付き合っているからこそ分かるのだが、あれの最大の難点はいくら渉猟しても新たな発見がないことである。いや、過去の購入履歴を元に勝手にいろいろ勧めてくるのだが、これがまあ玉石混淆である。これを信じて買うと結果的に高い買い物となってしまうのだ。

むしろ、こんな本が欲しかったという発見は、リアル書店でないと味わえないと言うべきだ。何も書店の本を矯めつ眇めつ眺める必要はない。自分にとっての血となり肉となるような本は、向こうの方から自分の目に飛び込んでくるようになっているし、そのくらいの嗅覚がなければ本が好きですなどと曰ってはいけないといっていいくらいである。Amazonでは、そういう発見はまったくといっていいほどない。

私個人の例でいうなら、今も愛読している故宮脇俊三翁の本は、1982年12月23日、新潮文庫の新刊を漁っているときに偶然見つけた「汽車旅12カ月」がそもそものきっかけだ。そのほかに今も読み続けている人の本は、その頃の発見が契機となっているものが結構ある。いや、一番重要な体験は、1983年5月31日、書店で本当に偶然見つけた「月刊カープファン」だ。これがあるから私はただの鯉党から真っ赤なカープファンになったのだ。リアル書店なかりせば、そのような体験はできないに違いない。

Amazonの正しい使い方は、読みたい本を絞って購入することだろう。あと、とりあえず中身だけ読みたいから中古でいい場合に重宝することはいうまでもない。特にお高い本の時にはよい。

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1件のコメント

  1. ASD(自閉症スペクトラム)の影響か、思考も行動も振れ幅が大きい。興味がある時は100どころか150ぐらいの集中力で稼働するけれど、興味が薄れたり気が乗らないと稼働率0で何もやらない。仕事においてもプライベートでも・・・読書のパターンも。

    十数年前、無性に本を読みたくなった時期があり、ゾーンに入ればASD人は歯止めが利かない。年500冊ペースが2年続いた。そうなれば、ネットもリアル書店も見境なく、作家が紹介する書籍を数珠つなぎで購入し読みまくる。Amazoの中古でたまに上出来の新古品が当たった時は、素直にラッキーだと小躍りする。その中でアンカット製法(本の天地と綴じの反対側3辺を断裁せずに製品となっている製本方法)のLA Peste(アルベート・カミュ)が送られてきた時は何じゃこりゃ?と。フランスは今でも、アンカット製法の本を一部市場に出している。ペーパーナイフで切りながら読むのは面倒だけど、コレに嵌ると何だか19世紀にタイムスリップしたような錯覚に陥り優雅な読書スタイルを味わえる。古い年代の本はコレのほうがしっくりくる。

    自分の場合、余裕がある時は一般的な書店より古本屋のほうへ足を運ぶ。古本屋の店主は意外と高学歴の読書オタクが多くて、通っていると良書をピックアップしてくれたりする。本屋大賞のような俗っぽい駄作を掴まされることはない。また、100円均一ワゴンセールの中にも新古品が混ざっている場合もある。石川啄木の「あこがれ/一握の砂/悲しき玩具」3冊セットを衝動買いし、家に帰って本を開くと、まさかのアンカット製本(復刻版)だった。非日常を味わいたい時は、ペーパーナイフでざりざり音を立てながら読むのも乙だよ。

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