一九八八.一二.二五

つれづれ

12月の第4日曜日は、男子と女子の高校駅伝と競馬の有馬記念が重なることが多い。なので、これが終わるとああ新年が来るなと思う次第である。独身時代はこの日を大掃除と年賀状書きに当てていたりもしたので、なおのことそう思う。最近は家の行事が重なることが多く、なかなかゆっくり見られなかったりもしたのだが、今年は珍しくじっくりと見ることができた。

そういう師走の最終日曜日、世間的にはクリスマスでもあった今日、特に何があることもなく平穏無事に過ごしたのだが、同じ曜日の並びだった1988年は、まったくグレイクリスマスだった。そのときのことはもう過去何度も書いているのだが、媒体が変わったこともあるので、敢えてもう一度書いてみることとする。

1988年12月24日土曜日。クリスマスイヴなのだが、もちろん昼間は予備校の冬期講習に出ていて、もちろんクリスマスどころではなかった。予備校のある堀川丸太町と寮のあった上賀茂朝露ヶ原町との間は堀川通一本で、いわゆる街中ではないので世間の雑踏は目に入りにくいのだが、それでも世捨て人ではないから世間の情報は目や耳に入る。否が応でもクリスマスクリスマスというのは感じるのであって、それが非常に辛かった。

もちろん寮でもクリスマスを無視する訳ではなく、夕食にはデザートで小さなケーキが出た。しかし、それがかえって空しさに火を付けてしまったのかもしれない。夜には珍しくヴィデオの上映会(確か「ラストエンペラー」だったと思う)などもあったのだが、見なかった。映画にあまり興味がなかったのもあったのだが、要するに寂しかったのである。かといって勉強にも手がつかず悶々としていた記憶がある。

そして翌12月25日日曜日。来るべき共通一次試験への最終トレーニングである共通一次ファイナルの日だった。会場は阪急京都線沿線のある大学(伏せてるのではなくて思い出せない)。模試自体はもちろん全力投球したのだが、終わった後になんともいえない虚無感が去来した。もちろん世間的にはクリスマス。なんとなく、そのまま阪急の駅に戻りたくなくなったのである。そして、たまたま見つけたバス停の「大阪駅前方面」の文字を見て、そちらにふらふらと流れたのである。

で、大阪駅に着いて、したことは何もない。というより、本当に駅近くをうろついていただけだ。夕食は取ったはずだがどこで食べたのかも思い出せないくらいである。覚えているのは、いつも買っていた漫画雑誌を買って阪急京都線の特急に乗り込んでまっすぐ帰ったことだけ。しかしこの程度でも、私にとってはとんでもない破戒行為だったのだ。

それを思うと、その後のクリスマスには、特段いい思い出もないが苦い思い出もない。独身時代にホールケーキを買って食べきろうかと思ったが、やっぱり無理だと思って自制したくらいだろうか。あとは、東京居住時代に、仕事で帰宅が23時を回って悲しかったのが思い出されるが、それもあれに比べたらましだ。

明日からは、いよいよ歳末に向けてすべてが動き出す。我が娘は既に合格を決めているので来春の決戦には関係がないから、早くも来年四月以降へ向けての予備学習が始まるくらいである。あの不出来な共通テストですべてが決められるわけがないのが喜ばしい限りだ。だからこそ、よけいにあのときのことが思い出されてならない。

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