今日はジャイアンツが敗れたため、形の上ではゲーム差が縮まった。しかし、ただそれだけのことだ。もはやカープの選手の気力は完全に切れただろうし、何より明日もジャイアンツが敗れる可能性は極めて低いと思う。いや、無理だろうな。
と、いうわけで、カープの2022年は事実上終わった。いや、佐々岡によって終わらせられた。ほんと繰り返すようだけど、あの選手起用はない。有り得ない。総力戦というのは、指揮官が思う自称「主力」選手を並べる場ではない。それは総力戦ではなく、19世紀までの戦争、いわば普仏戦争までの戦い方だ。あるいは元の水軍に挑んだ鎌倉幕府の御家人の戦い方といっていいかもしれない。
さすがに在広御用プレスも昨日の中崎投入だけはその理由を明らかにしておく必要があるとみたか、あそこは中崎が抑えてくれると思っていたという佐々岡のコメントが載っていたが、それに納得した向きは信者だけだろう。本当にあのコメントは佐々岡の無能ぶりを雄弁に物語っていると思う。どう考えてもあの試合は9回栗林、8回矢崎から逆算して投入投手を決めるべきなのであって、6回7回は松本、ケムナ、森浦、ターリーを順不同並べ詰めでよかったのである。そのくらい、素人でも分かる話だ。
軍事学上の「総力戦」の定義は難しいのだが、軍事力のみならず経済力や技術力、科学力、政治力、思想面の力を平時の体制とは異なる戦時の体制で運用して争う戦争の形態、とするらしい(Wikipediaによる)。そう考えたら、あれはカープにとって「総力戦」を戦っていたつもりだったのかもしれない。所詮カープという組織自体が19世紀的専制国家である以上、そもそもあの程度の戦いしかできないのは宜なるかなだし、佐々岡真司という人は「戦時」という意味が理解できない指揮官である。
その意味では、いくら佐々岡に辞任を突きつけたところで、なにも変わらないという結論に至る。カープにとって必要な改革があるとしたら、やはり球団組織の大変革でしかない。私は旧ブログの時からそれを主張してきたつもりであるが、今のファンの声を見るにしょせん佐々岡に対する怨嗟でしかないことを残念に思う。
まだカープの2022シーズンの形式上の戦いは終わっていない。しかし、我々の明日への戦いはもう始まっている。