10月13日、カープ球団が放ったアウェイユニフォームのマイナーチェンジ。「赤地に赤」という愚策を捨てた先で選ばれたのは、またしても視認性を無視した「赤地に紺」というさらなる迷走であった。これは単なるデザインの失策ではない。エトミデート疑獄に端を発する球団批判を逸らすための見苦しい「目眩まし」であり、自らの失敗を認められず撤退戦すら戦えない松田元オーナーのガバナンス不全そのものである。
なぜファンを愚弄し、弱体化で利益を貪る独裁体制にこれほどまでの盲従が集まるのか。反省なき経営者の狡猾さと、プロパガンダに流され思考を停止させたカルト信者層の病理を、一切の妥協なく冷徹に解剖する。
【無策の改変】視認性を無視した「赤地に紺」と、球団の場当たり的煙幕
10月13日、カープ球団が本日を期して何らかの発表を行うという告知が出されていたが、私は意図的にそれを無視した。どうせユニフォームのマイナーチェンジといったトリヴィアルな話題に過ぎないと高をくくっていたが、案の定であった。発表されたのはアウェイユニフォームのマイナーチェンジだ。「赤地に赤」という視認性を完全に無視した無謀な配色をようやく捨てるのだという。
しかし、新しく導入される「赤地に紺」とて、根本的な解決には程遠い。赤地に紺を配したところで、視認性の悪さは何ら変わりがないからだ。アリバイ作りのようにライトブルーで縁取りを施したというが、デザインの常識から言えば正反対である。ライトブルーの文字を紺色で縁取るのであれば視認性は確保されるが、紺色の文字を薄い青で縁取ったところで可視性が劇的に向上するわけがない。敢えて背番号や文字を識別しづらくすることに、一体どのような合理的意味があるというのか。
このような脈絡のない奇策は、松田元の思いつきによるものであると断定してよい。そもそも「赤地に赤」という正気の沙汰とは思えぬ配色を即座に実行へ移せる組織構造は、現在のカープにおいては松田元の独裁体制以外に存在し得ないからだ。彼はこのような愚策を依然として「妙案」であると錯覚しているのだろう。だからこそ、相変わらず視認性を欠いた異形のアパレルが継続されることになる。
仮にどれほど奇抜なユニフォームであっても、チームが圧倒的な強さを誇っていればAvant-gardeな試みとして容認されたかもしれない。しかし、現実に展開されている野球はAvant-gardeどころか古臭い代物に過ぎず、結果としてただ「珍奇で醜悪なユニフォーム」という無残な評価だけが残った。同じ赤を用いるにしても、文字色にピンクや薄紅を採用するなどの工夫があればまだ救いようがあったものの、その程度の審美眼すらこの組織には存在しない。
【自浄の欠如】エトミデート疑獄からの目眩ましと、撤退戦の戦えない男
今回の急激なユニフォーム変更の真の思惑は、エトミデート疑獄に端を発した球団当局への猛烈な批判を逸らすための「目眩まし」に他ならない。変革の姿勢を示すポーズであれば、必ずしもアウェイユニフォームである必要すらなかったはずだ。しかし、公認野球規則上白基調という制約があるホームユニフォームはいじりづらく、サードユニフォームを新設するだけの資金投入は、コストカットを至上命令とする松田元の偏狭な経営観念が許さなかったのである。
この一連の改変劇が如実に物語っているのは、松田元という男が自身の過ちを絶対に認めず、正しい「撤退戦」を戦うことができない経営者であるという事実だ。本来であれば「これまでのユニフォームは視認性に重大な欠陥があったため変更する」と素直に謝罪・撤回すれば済む話である。しかし、極度の自己愛と独裁権力に守られた男は、口が裂けても自らの非を認めない。その結果、選択できる手段が極めて限定され、採る手すべてが悪手となる悲劇的な悪循環に陥っている。このような人物が球団のトップに鎮座し続けている現状には、強い憤りしか湧いてこない。
結局のところ、今回のアウェイユニフォーム変更劇は、松田元という経営者の悪辣さと狡猾さを象徴する泥縄式の保身策に過ぎない。この一事をもってしても、彼をオーナーとして戴くことの異常性、そして彼が球団経営から排除されねばならない理由は明白だ。カープという組織における最大の癌細胞は、他でもなくこの男である。この惨状を目の当たりにしながら「次は誰のユニフォームを買おうか」と能天気に算段している層が存在するならば、その思考力の欠如には呆れ果てるしかない。
【信者の盲従】プロパガンダに流されるカルト層と、独裁体制の終末
重ねて強調するが、カープをここまで衰退させた根本原因は松田元にある。勝利や優勝を追求する姿勢を放棄し、「弱ければ弱いほど低コストで利益が上がる」という構造を作り上げた人物である。なぜこれほどの害悪を撒き散らす経営者を「親しみやすい名物オーナー」のように持ち上げ、盲目的な帰依を捧げるファンが存在するのか、理知的な観点からは理解しがたい。
厳しい現実を直視すべきだ。松田元という人物は、善良な経営者どころか反社会的な体質との親和性が極めて強い。この本質を見抜けぬ者は、自らの洞察力が完全に麻痺していることを自覚すべきである。長年彼の振る舞いを観察していれば、その兆候は枚挙に暇がない。一国の主たる球団オーナーに対して、ファンやメディアが客観的かつ批判的な視線を保持できない時点で、その言論空間は終わっている。
松田元にとって、ファンなど人間として尊重すべき対象ではない。無批判に資金を落とし続ける信者層は「扱いやすいカスタマー」に過ぎず、応援団すら有事の際に自己を防衛するための傭兵程度にしか捉えていないだろう。その冷徹な現実を解さず、権力の近くにいれば利益に与かれると勘違いしているコアファン層に対しては、もはや哀れみすら覚える。
ここまで論理を尽くしてもなお松田体制への信仰を棄てない者は、もはや自浄の機会を失った「縁なき衆生」と言うほかない。彼らもまた、崩壊する独裁体制ともども打倒されるべき対象である。私の呈したこの批判に異論があるならば、感情論ではなく論理的かつ説得力のある反論を示されるとよい。だが、彼らが繰り出すのは常に支離滅裂な誹謗中傷のみだ。その浅薄さこそが、この街と球団が抱える暗黒の深さを物語っている。
「赤地に紺」という無策なユニフォーム改変劇が暴き出したのは、反省も撤退もできない一人の独裁者の保身と、その威光にすがる言論空間の無残な自壊である。ファンを「無批判に金を落とすカスタマー」としか見ない経営陣と、その足元で身内ルールに逃避する信者層に、もはや自浄の機会など訪れない。
構造的な癌細胞である松田元体制が排除されない限り、この球団に未来など存在し得ないのだ。感情論や支離滅裂な擁護を切り捨て、冷徹な論理の刃を突きつけ続けること——それこそが、腐敗しきった「独裁国家」に対する唯一の回答である。
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