Hall of Shameの主・松田元と広テレの蜜月。「恥の殿堂」へ向かうカープ独裁体制打倒の好機

スポーツ

「恥の殿堂」が存在するならば、満場一致で顕彰されるべき男・松田元。長年にわたり球団を私物化してきた独裁政治だが、繰り出す施策の古くささと側近の質の低下により、その足元には明らかな亀裂が生じ始めている。
池谷公二郎氏の訃報で見せた広島テレビの不自然な過剰報道。松田元が取締役に名を連ね、讀賣グループとべったりの同局が見せたなりふり構わぬ態度は、独裁者の「老いと焦り」の証左だ。外圧に頼ることなく、ファン自らの手で松田一族を退陣へと追い込むための好機を冷徹に解き明かす。

【時代遅れの牙城】「Hall of Shame」に君臨する老いた独裁者

「松田元の前に松田元なく、松田元の後に松田元なし」——。名球会や野球殿堂(Hall of Fame)ならぬ「恥の殿堂(Hall of Shame)」が存在するならば、彼は間違いなく満場一致で顕彰されるべき人物である。このような経営者を長年にわたり有難がり、盲目的に担ぎ上げてきた一部サークルの浅薄さには失笑を禁じ得ない。

しかし、その絶対的な支配力にも明らかな陰りが見え始めている。一言で言えば、繰り出す施策のすべてが時代遅れであり、泥縄式の古くささを隠しきれなくなっているのだ。周囲が自動小銃で武装する現代野球のガバナンスにおいて、未だに三八式歩兵銃を後方から持ち出してくるかのような錯覚すら覚える。彼を取り巻く側近やイエスマン集団の質的低下に伴い、強権体制の足元には確実な亀裂が生じつつある。

【悪の権化】広島テレビと讀賣グループが紡ぐ虚飾の蜜月

その歪みが最も露骨な形で露呈したのが、先日逝去された池谷公二郎氏を巡る広島テレビ(HTV)の過剰な追悼報道である。池谷氏が在広局の解説者としてカープ球団の代弁者——すなわち「幇間評論家」の先駆けとなった事実は動かないが、今回の訃報における同局の扱いは、古葉竹識氏や衣笠祥雄氏といった巨星たちの死に比して明らかに不自然かつ異様な重厚さであった。

この異様さの背景を解き明かす鍵は、広島テレビの役員構成に存在する。同局の取締役には松田元本人が名を連ね、さらには渡邊恒雄をはじめとする讀賣新聞社・日本テレビの最高幹部層が歴代取締役に名を連ねてきた。カープがどれほど「巨人とは異なる市民球団」の風貌を装おうとも、実態は讀賣グループのメディア資本と強固に癒着し、あらゆる改革を拒絶する「悪の権化」としてメディア支配を維持してきたのである。

本来であれば隠蔽すべきこの露骨な蜜月と権威付けを、なりふり構わず誇示せざるを得ない姿勢こそ、松田体制が直面している焦りの証左に他ならない。冷徹な視点を向ければ、そこには晩年の独裁者が漂わせる哀れみすら滲み出ている。

【絶好の好機】外圧を排し、ファンの手で引きずり下ろせ

だが、この衰退の気配をもって安易に勝利を確信するのは愚の骨頂である。かつてベルリンの地下壕で死を待つのみであったヒトラーが、土壇場でのクーデターを徹底的に鎮圧したように、追い詰められた独裁機構は最後の一瞬まで強権を発動する。松田元氏もまた、その牙を完全に失ったわけではない。池谷氏の訃報を利用した過剰な権威付けも、新たな正統性の根拠を捏造しようとする必死の抵抗と見るのが妥当である。

だからこそ、この動揺と焦りが生じた今この瞬間こそ、松田元体制を討ち果たす千載一遇の好機なのだ。重要なのは、この改革を外部からの圧力や自然淘汰に委ねてはならないという点である。外圧によって棚ぼた的に体制が崩壊したところで、次に現れるのはまた別の形を変えた独裁者に過ぎない。

我々カープファンにとって、チームの運営主体が松田一族でなければならない必然性などどこにも存在しない。今こそ自らの手で、この一族をその功罪とともに「恥の殿堂」へと永久に閉じ込めなければならない。それこそが、誇り高き赤ヘルの伝統を取り戻すための、真正なるファンの義務である。

メディア支配と虚飾の重厚さで身を包もうとも、時代遅れの強権体制が崩壊へと向かう足音を消し去ることはできない。
我々ファンにとって、カープの所有者が松田一族である必然性など微塵も存在しない。外圧による棚ぼたの変革ではなく、我々自身の言論と意思によってこの不条理な支配を終わらせ、松田一族を「恥の殿堂」へと永久に閉じ込めなければならない。今こそ、その時である。

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