たかが鯉なんて 忘れればいい

おもひで

なんやら数日前にカープも一丁前に仕事納めをしたらしい。そりゃ仕事納めをするのは良いが、もう1か月前から冬眠に入っているような趣である。もはや仕事をするのを放棄しいているのではないかと言いたいばかりの現状に、言うべきことは何もない。今日のWEBニュースなんかでハジメがなんぞ言ったという記事が出ていたが、名前を見るのも写真を見るのも反吐が出る。

もはや私は、ハジメなんぞが率いるチームに対する思い入れが薄れつつある。勝ってほしいどころか、恥ずかしくない野球をやってくれという願いすら叶えてくれないのである。しかもそれを是とするバカープファンの跋扈。カープはカープであって広島にあることだけがその存在価値であるかのような言動には、これまた反吐が出る。

唯一の望みは、ハジメが消えてなくなることである。当たり前だが彼奴も不老長寿ではない。いつか命が尽きるときが来る。年齢では彼奴の方が私より二十余年上だから、順番では向こうが先のはずだが、必ずしもそうではないことは私がこの度思い知らされたところである。でも、あんなのより先に死ねるかってんだ。そのくらい彼奴には弁えてもらわないと困るのである。

でも、常々言っているとおり、彼奴が死んだところで、何も変わらない。カープ会社の資本が根本的に松田家から変わらないことには、変革を望むことは太陽が西から昇ることを待ち続けるようなものだ。そういう意味では非常に絶望感が深いのである。こんなのにも信者がついていて、カープファン界隈ででかい顔していることにもいえるのであるが。

ならば、ウォッチャーであれば良いのではないかと思うし、そうなれれば楽だろう。しかし、いったん染みついた業というのは簡単に流れ落ちるものではない。その意味では1983年5月31日の「月刊カープファン」との出会いは非常に罪作りなものだったのである。東京にいたときにはカープを追っかけるどころの騒ぎではなかったのだが、情念を消すまでには至らなかったのである。

申し訳ないが、来シーズンのカープはダントツの最下位だろうと思っている。これだけ酷かった今年からなんの上積みもないし、オフェンスは相変わらず貧弱だし、唯一頑張った小園をさあ出て行けと言わんばかりに処遇しているのである。あり得ないことの連鎖だ。こんなチームに、何を期待しろというのか。何が期待できるというのか。教えてほしいくらいだ。

あまり徒にPessimisticになりたくもないのだが、この現状を必死にOptimisticに振る舞うことは哀しいピエロになるようなものだ。ならば、ピカロになるほうがましだ。上田馬之助やタイガー・ジート・シンがいるからこそ正統派ヒーローが輝いたのではないか。こんなていたらくなら竹刀やサーベルを振り回した方がましかもしれぬ。

と、いうわけで、今日は我が社も仕事納めだったから、明日からの9連休を楽しみにしているところだ。しかし、明けて2026年になることに、カープファンとしては何も喜びもわくわく感もないというのが哀しいと言うほかない。年末年始の休暇というのは、去る年の憂さを晴らし、来る年への期待を持つからこそ楽しいのであって、来る年が去る年より悪くなることが見え見えなのを、どうやって楽しめというのか。

今日の標題はもちろん中森明菜のキャリア晩年(と、あえて言わせてもらう。私にとっての中森明菜は1989年7月で終わっているのだ。)の名作「難破船」の冒頭からのいただきだ。はっきり言って、カープなんてしょせん「たかが」というべきものだ。なければないでかまわないものである。でも、この歌の世界観がそうであるように、ひとたび好きになったものを忘れ去ることは容易に出来ないのである。

ちなみに、この曲を作った、というよりもともと歌っていたのは加藤登紀子。中森明菜のためにということで提供したらしい。でも、お登紀さんが歌えば場末の飲み屋で浴びるように飲みながらケラケラ笑っているような感じだが、中森明菜が歌うと深夜のバーの片隅でうつむきながら1人飲んでいるような趣がある。彼女は独特な世界観というか解釈眼を持っているのだが、それが表れていてなかなかよい。

話が逸れた。私も,そろそろカープを肴にわいわいやりたいと思っている。幸いに適度に嗜むのはかまわないと医者のご託宣を得たので、来年2月か3月ころに一席設けるつもりだ。

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