ちょうど先週の今日、YBCルヴァンカップの決勝戦があったその日、徳島で行われた同期会に行ってきた。本当に30年ぶりや20年ぶりの再開があって、月並みな表現だが懐かしかった、次は我がホームグラウンドの広島で開催することも決まり、どうしようかと思っているところだ。こういう思案は、なかなか楽しい。さらにいえばその1週間前には大学の恩師の傘寿の祝いがあって、旧交を温めたところである。
袖振り合うも他生の縁とか一宿一飯の恩義とはよく言ったもので、広い世界に人なんて星の数だ。それが結ばれるのも不思議な縁なのだが、その縁が数十年続くというのもまた不思議なものといわざるを得ない。実際に私も、中学で市外に出て、大学に行きそびれて京都の予備校に入り、大学も広島に落ち延びて、また京都に攻め上ったり、また広島に戻ったりとかで、出会いが相当数あったりする。
それだけ縁があるということは、また別れもあるということだ。単に距離が生まれるだけならよいのだが、人として生まれるということはまた今生の別れもあるのだ。事実私も、高校の卒業式を最後に今生の別れとなった友がいたりするし、亡母も含め親族には当然ある。まだ私も数十年生きるだろうから、当然出会い以上の別れを重ねることとなるだろう。
いまだに悔やまれる別れは、高橋里志さんとの別れだ。コロナ禍の中、一段落したところで「Member’s高橋」に行ったときに癌で闘病中であることを告げられ、別れ際にもっと追う勢で押しかけることを伝えた。しかし、また感染拡大とかで湯崎の無粋な行動抑制がかかって行くことがかなわず、その数ヶ月後に新聞で訃報を見た。もっともっと聴いてみたい話があったし、残念だといわざるを得ない。
ところで、私がカープファンになったのも、ある意味不思議な縁だ。何でも書いてきたとおり、兵庫県赤穂市に生まれ育った私が、亡母より赤字に婚のCの野球帽を与えられ、その直後に赤ヘル連覇の黄金時代が来たのである。その後ライトなファンだったのが、日刊スポーツの選手名鑑を購入して焼け棒杭に火がついたとこりに目にした「月刊カープファン」。それが今への序曲である。これぞまさに「一期一会」と言わずにはいられようか。
いや、球場に見に行くというのもまたひとつの「一期一会」だ。私だって1979年8月30日の甲子園球場でのT-C戦を見に連れて行ったもらったときの感動は今でも残っている。オープン戦だが姫路球場でのブレーブス戦や明石球場でのタイガース戦は、貴重な思い出だ。それが私のカープファンとしての血となり肉となっていると行っても、過言ではない。、
いや、出ている選手ってそうではないか。今日グラウンドに立っていることは永久不滅ではない。試合に出られたことはレギュラーへの切符ではないし、レギュラーだっていつ外される結果になるか分からない。今を必死にプレイできないような選手に、見る価値はないといっていいかもしれない。そういうのが、単なる一生懸命と命がけの一生懸命を分ける分水嶺ではないかと思うのである。
今のカープの選手を見てると、僭越ながらだらだら野球やってるとしか思えないところがある、かろうじて黄金時代に間に合ったわたしからしたら、今のカープの選手なんて歯がゆくてならない。お田井台では二言目には「応援お願いします」などと言うけれども、応援したい、推したいと思わせるだけの野球をやってるかと逆問いしたい気になるのだ。「推し活」としては、今のカープはコスパが悪すぎで、それがライトなファンが離れる原因だろ思う
そして今年も、ひたすら悪い意味での無為が流れる一年となってしまった。無為を楽しむのと、ただなにもしない、何もできないというのは天と地の差がある。そんなのを見せられたお客さんが、また次来てくれると思うだろうか。多くのお客さんにとって、いや、それなりにスタジアムで見てきた私でさえも、行く試合行く試合が一期一会だ。次はないかもしれないのである。私がカープから距離を置くか、それともカープというチームがなくなるか。どちらになるかは分からないが。
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