そう、カープファンに問いたい。普通のチームなら、応援するチームが強くあることをみんな望んでいるのだが、カープはそうではない。強いチームを見たければよそを応援しろというあほうが一定数存在するのだ。こんなの、おかしいではないか。
しかし、ヒロシマ球界ではそういうおかしいことが起こる。理由は正直よく分からない。まあ分かりたくもないのだが、蓋し、論理学の基礎を理解できていないからではないか。
命題として、推しのチームが弱くても応援すべきだというのは、真とは言い難いがまあ理解できる。そりゃ私だって南海ホークスというどうしようもないチームを応援していたから、心情としては分かるのだ。しかし、だから推しのチームは弱くても構わない、それを甘受すべきだという命題は成り立たない。要するにここでこっそり誤りが組み込まれているのだ。
いや、そんな話はどうでもいい。問題は、カープが弱くてもいいと思うファンの中に、それこそが真のファンのあり方だと思っている向きが少なくないことだ。蓋し、そんなのは真のファンどころか、カープに巣食うシロアリだ。カープを壊しているのだ。こんなのがいるから、経営者が仕事をサボるのである。
さらに言えば、かかる向きはカープファンの縮小に手を貸してもいるのだ。ライトなファンの多くは、強いカープこそ愛の対象なのだ。こんなこと、当たり前のことであって説明する余地ないものなのであるが、これを説かねばならないほどカープファンサークルは腐っている。
私は、カープの黄金時代の時に見せた圧倒的な攻守で相手を圧倒するカープこそ見たい。それは多くのライトなファンも同じはずだ。しかし、それを望むと否定する向きが存在することが、非常に忌々しい。なんで我々が自称コアファンの自己満足に振り回されなければならないのか。なんで今のカープに満足させられなければいけないのか。
はっきり言って、「守り勝つ野球」だとか、「育成のカープ」などというスローガンはもうたくさんだ。これらはすべてカープが強くあっては困る向きの考えた悪のスローガンである。「伝統の機動力野球」もそうだ。こんなの自称コアファンの自己満足、悪く言えばマスターベーションだ。とっとと捨て去ってしまえばいい。
しかし、問題はどうしてこんなファンが増殖したかだろう。少なくとも数十年前には見られなかった現象だ。まあ、理由は簡単だ。こういうことを言っていればカープファンヒエラルキィの中で高い位置を占められるから、要はハジメの意図に近いからに他ならない。
それはさておくとして、どうして同じファンなのに推しチームが強くありたいと思うことでまとまらないのだろうか。これこそ今のカープの病理なのかもしれない。悲しいことだ。






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