だから悔しかったら打ってみろ。

スポーツ

昨日の試合は、とにかく主軸打者の差がもろにでたということは、誰も否定しないだろう。さすがに新井も末包については庇うことをしなかったようだが、主力打者としては情けない結果だったから仕方がない。当の本人も自覚しているようではあるが、それが結果として表れない限りはいつまでもハナクソ扱いにならざるを得ないのも、また当然のことである。

末包についていうなら、とにかく速い球が打てないという欠点があるが、昨日の奥川はそんなに剛速球ビシビシという感じではなかったから、それ以外に原因があると思ってよかろう。蓋し、インサイドワークで惑わされると手も足も出なくなるのではないか。昨日など、そんなに厳しい球投げられてもなかった気がする。

これは末包だけではないカープの病理なのだが、なんか頭を使わずに野球やってるんじゃないかという気がする。かのBlasingameではないが、”Thinking baseball”がなってないのではないか。どうやったら打てるようになるかについての回答がバットを回数振ることしかないのかと思えてしまうのだ。新井は盛んに誠也との違いを強調していたようだが、誠也は常に進化していた。末包の打撃を見ると、十年一日の如しである。

とにかく、末包のみならず今のカープのバッターの進化のなさは哀しい限りだ。野球は相手あるスポーツで、もちろんピッチャーは打たせまいと思って投げてくるんだから、打てないコースにボールが飛んでくるのは当たり前である。その前提を理解してないのかと思わずにはいられない。ましてやそんなに大きくないボールを円筒形のバットで打つという物理学上非合理的なことをやるのである。

さて、昨日の試合は末包ばかりクローズアップされるが、このところ非常によくないのは坂倉も同じである。ただ、打球そのものがお話にならなかった末包と違って、坂倉の方はまだまともな打球が飛んでいた。もっとも逆に言えばかえって病理は深いともいえる。典型的な絶不調の症状であるのだ。

坂倉の場合、私がずっと書いているとおり原因はメンタルであると思う。ひとことで言うとやる気になれないのだろう。きっと新井に対する拒絶反応が出ているのだと思う。気持ちは分かる面はあるのだが、文句があるなら結果を出してからいえといいたい。それがプロというものだろう。このままFAで出て行ったら、バカープファンを利するだけだ。

いずれにせよ、次の舞台はハマスタであって、前回同様ドンパチ合戦をやって打ち勝つしかないのだ。なら腹据えて打とうじゃないか。明日の相手先発は平良拳太郎。ストレートの力でガツガツ押してくるタイプじゃない。ならばチャンスはあるだろう。日曜日の無様さが悔しかったら、打て。それでしかもう取り返しようがないんだから。

それができなかったら、もうバットを置くしかない。早いも遅いもない。打てないバッターに、存在価値はないからね。。

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コメント

  1. Иван Иванович より:

    長期夏季休暇中のオタクの独り言。

    プロレベルのピアニストで言うと、アップテンポのアレグロよりスローテンポのアダージョのほうが難しいんだよね。速弾き箇所は多少ミスっても素人にはバレないが、遅いテンポの箇所をミスると素人にも見破られる。スローテンポの箇所は、響きが貧弱になったり音楽の流れがだらけてしまいがちなので、より高い表現力が求められる。

    同じくプロの声楽家についても、ff(フォルテッシモ)よりpp(ピアニッシモ)のほうが難しい。
    技術的な難しさ、ピアニッシモの精密さの観点で。
             ↓
    [息のコントロール]ff→強く息を吐くことで音量を確保しやすい。pp→極めて繊細。息を細く、しかし安定して流す必要がある。
    [声帯の調整]ff→声帯をしっかり閉じて振動させることで安定しやすい。pp→微細な閉鎖と振動が必要。少しのズレで音程や音質が崩れる。
    [共鳴の使い方]ff→響きが自然に広がるため、共鳴の確保が比較的容易。pp→弱音でも響きを保つ必要がある。空間との対話が重要。
    [音程の安定]ff→音量がある分、ピッチの安定性が高い。pp→小さな音ではピッチが不安定になりやすい。

    芸術的な難しさ、感情と表現の濃度の観点で。フォルテッシモは「外への放出」なので、感情を外に向かって解放するため、表現が直接的で伝わりやすい。一方、ピアニッシモは「内なる叫び」なので、静かな音の中に深い感情を込める必要があり、聴衆の心に届くように「密度の高い表現」が求められる。

    ピアニッシモの身体的・心理的な難しさ。
    [緊張との戦い]
    舞台上で静かに歌うことは、周囲の音や空気に飲まれやすく、精神的集中力が試される。
    [筋肉の微調整]
    声帯、横隔膜、顔面筋などを極めて繊細に使う必要があり、熟練した身体感覚が求められる。ピアニッシモは、声楽家の「技術の極み」であると同時に、「魂の深さ」を問われる瞬間でもある。

    以上の留意点をもって演奏するのが、俺らのような平均的な音楽家であり、1ステージ1億円以上のギャラが支払われる3大テノールは異次元。ま、3人とも俺の好みではないけれど。(パバロッティは死没)

    ピアニッシモの名演実例。
    マリア・カラスの「Casta Diva」冒頭
    息を呑むような静けさの中に、神聖な祈りのような響きが宿る。
    ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウのリート演奏(芸術歌曲)
    声量ではなく、言葉と音のニュアンスで聴衆を引き込む。

    ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウはバリトンなので、3大テノールとは声域が異なるが、ディースカウこそが本物の天才。日本人特有の「皆が良いと言ってるから、偉大な演奏家に違いない」というミーハーの動向に釣られないよう、本物の天才を探し当てたら楽しいし満足度が高い。

    ま、天才とまでは言わないものの、カープでスター性を備えているプレイヤーは期待順に、前川誠太、佐々木泰、田村俊介、中村奨成。(既に実績がある小園海斗は省く)

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