昨日、大の鯉党でもあった、元TBSアナウンサーの久米宏翁が亡くなったとの報が流れた。そのことは、もういろんな人がいろんなことを書いているし、あえて付け加えることもないと思う。なので屋上屋を架さなくてもよいかもしれぬ。私にとっては、「ニュースステーション」がどうたらというより、TBSのスターアナウンサーだったという印象が強い。
そう、間違いなく1970年代のテレビを仕切ったひとりである。「ぴったしカン・カン」「ザ・ベストテン」「料理天国」などなど。みのもんた翁がその後になるが、土井まさる翁と並んで番組を仕切れたアナウンサーの1人といっていい。しかし、みのもんた翁以後続いていない。その理由は、思うに以下のとおりである。
今アナウンサーでトップにいる人の1人は間違いなく同じTBSの安住紳一郎だと思う。しかし、久米宏にあって安住紳一郎にないもの、それはひとつに「華」、そして「藝」であると思う。安住紳一郎は確かに何でもそつなくこなすが、彼はあくまでエリートサラリーマンの趣だ。ミッションを粛々とこなしているという感じしかない。人畜無害、家内安全、そういった系統だろう。
別に安住紳一郎ばかりではなく、今のアナウンサーはみんなそうだ。確かにうまく仕切っているように見えるが、そこには華がなく、そして藝も感じられない。いわば永遠の黒衣である。だから面白くもなんともない。「ぴったしカン・カン」における久米宏の存在感と「ぴったんこカン・カン」における安住紳一郎の存在感を比べたら分かるだろう。
いや、アナウンサーだけのせいではない。要するにテレビの番組自体がつまらないし、出ているタレント風情もつまらないのである。要するにお子様の学芸会の乗りだから、絶妙な話術も仕切りも必要としないのだろう。安住紳一郎にはどこか自分の番組を醒めた目で見つめているような趣を感じるが、そのせいなのかもしれない。
話が逸れるが、これはスポーツアナウンサーでも同じだ。もはや植草貞夫の叙事の極みのような、あるいは安部憲幸の叙情の極みのような、名人芸も必要とされなくなった。在阪局は高校野球と「裏送り」があるからまだ鍛えられているようだが、在京局の衰退は著しいし、広島なんてお話にならない。今にスポーツ中継はAIにとって代わられるだろう。
そう思うと、久米宏翁やみのもんた翁などは、アナウンサーの話術と仕切り芸が輝いていた最後の時代を生きた人なのかもしれない。古舘伊知郎は少し毛色が違う。彼はあくまで語彙力お化けであって、藝は感じられない。ただし華はある。まあ後継者が現れていないことは同じであるが。辻よしなりくらいか。しかし彼奴には1991年、日本シリーズの広島主催ゲームでデタラメな実況をした恨みがまだある。
話を久米宏翁に戻すと、彼が番組をともにした相方には、何故か長命の人が多い。「ザ・ベストテン」の黒柳徹子なんて典型だが、「ぴったしカン・カン」の萩本欽一、「料理天国」の芳村真理と西川きよし。そして「ニュースステーション」では眉毛の野崎さんこと野崎靖博さんがまだご存命だ。因果関係などあるまいが、不思議なものだ。もちろん久米宏翁も短命とは言えまいが。
まあ、今頃は先に天上界に行った、同じ鯉党で同時代のニュースショウを彩った筑紫哲也翁と酒でも酌み交わしているかな。カープと高市政権の行く末を肴にしながら。「ニュースステーション」の時は渋い顔が多かったが、本来は明るい顔でよく笑う人だ。筑紫哲也翁もどちらかといえば微笑みながら語りかける口だから、きっと笑い声の絶えない組み合わせになっていることだろう。
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コメント
まあ今は金太郎飴のようにどこを切っても一緒ですからね。
ちょっとしたことでバカが騒ぐから
無難に無味無臭の善人がメインになるんでしょう。
バカの言うことなんて聞くなよ。
バカは確実に改善されても番組は見ないよ。
バカの言うこと聞くから、今東京のどの番組もつまらないよ。
地方ローカルの方が面白いね。
管理人さんが述べられている通り、久米宏には「華」や「藝」が備わった存在感のあるアナウンサーだった。
ただ、久米宏1人の問題ではないけれど、日本のニュースは、肝心な部分を省略する等、偏向報道が酷い。2025年・報道の自由度ランキングにおいて、日本は180カ国中66位で、G7では2017年以降ずっと最下位が続いている。海外の報道番組(BBC、PBS、ARTEなど)と比較すると、日本の報道番組は、背景説明が極端に少ない、事実より“コメント”が多い、重要な論点が抜け落ちる、「誰が悪いか」より「誰が迷惑したか」に焦点が移るという傾向がある。
個人的に思うことは、アナウンサーに必要なのは、透明性、正確性、抑制された語り、権力からの独立性、文脈を伝える知性であって、「華」や「藝」は本質的機能ではない。むしろ“華”があるほど、ニュースがショー化し、真実が遠ざかるという逆機能すらある。
日本の現行(記者クラブ+視聴率+調和文化)は、「華」や「藝」は“ショー化された報道”における機能として要請される。しかしそれは、「真実を淡々と伝える」という本来の報道とは別物ということになる。