昨日に引き続きカープのことを書けるような気分ではないので、まあどうでもいい話を書いてみることとしたい。どうでもいいだけに、中身はあるようでないようで、やっぱりない。
昨年11月に緊急入院の憂き目に遭い、幸いにすぐに一般病棟に移ったものの、そのあいだは本を読むどころではなかったということは、以前書いた気がする。その反動ではないが、退院してしばらく経った今無性に本を読みたくなった。単に読むだけならいろいろ選択肢はあるのだが、今読みたくなったのは近代思想である。早い話が哲学だ。
といっても、オリジナルテクストで読むのは辛いので、講談社現代新書で出ている「今を生きる思想」シリーズを買い漁った。カール・マルクス、ジャン・ジャック・ルソー、ハンナ・アレント、ジョン・ロールズ、それに西田幾太郎。ついでにNHKブックスの「はじめてのウィトゲンシュタイン」。さすがに一気には読めないので、今は親愛なるKarlとWittgendtein先生に付き合っているところである。さらについでに言えば、ちくま新書の「ハイエク入門」も買っている。
我ながら筋も系統も違うものを集めたと思う。しかし、読みたくなったのだから仕方がない。セレクトは、私が学んできた恩師に影響を受けたところがある。Karlについては、人間観が私と合っているので親近感があるのだ。Karlが松田元なんて見たらこれぞ強欲資本家の典型と言うだろう。人間というのはやはり欲深くて狡猾なんだと思う典型である。
余談だが、Karlは資本主義を否定していない。ただ超克されるべき存在としているだけである。それをねじ曲げたのはイリイチやヨシフ、毛沢東と後世のマル経学者だ。そもそもKarlは観察者であって経済学を発明した訳ではないし、Karlの没年は1883年。古典派経済学の影響を色濃く受けながらそれを超克しようとしている段階であるのだから。
これだけ哲学者がいたら、規定されるべき真理はひとつではない。ひとつではないから人間社会に対立や紛争やもめ事が起こるのである。頭の悪い自称理科系の人間にありがちなのが、「真実は必ずひとつに定まる」との思い込みだが、間違っている。現に1+1=2を証明することは非常に難しい。ユークリッド幾何学は現代数学のお約束だが、異論もある。だいたいは証明できるとしても、全てではないのだ。そうでなければ、理科系のノーベル賞なんていらない。
もっと言えば、人間の知識なんて宇宙の前では微々たるものだ。ケプラーの法則といったって所詮は太陽系の中だけの話である。銀河系の奥まで誰も分からない。それでは話が大きすぎるというなら、海だって人間が分かっているのはごく限られた範囲でしかない。自然の前に跪くことが出来ない人間が、知識なんぞ語ってはいけないとさえ思う。
私は所詮法律学の欠片くらいしか分からないが、法律学の中には法哲学、法理学と言われる分野があって、法的なものの考え方や法的概念の根幹を議論する学問である。これはもう、百人百説といっていい趣だ。ジョン・ロールズは確かに正義論の第一人者であったが、これはロバート・ノージックという自由至上主義者からの批判・反批判を経て深まったところもある。
などと考えると、無性に近代思想に触れたくなったのである。それに乗るも批判するも、その思想に触れなきゃできない。聞いたことのない音楽をくさせないのと同じだ。ちなみに私はKarlの人間観には賛同するが、その哲学全体は穴だらけだと思っている。Wittgendtein先生は、昨日のコメントにも戴いたところだが、なんとも考えが首尾一貫していないというか、振れ幅が大きいというべきか。
あとはそこから、オリジナルテクストに遡ればいいのだろう、ちなみにWittgendtein先生の怪作「論理哲学論考」は持っている。が、なんともとっつきにくくて読みづらい。親愛なるKarlもまあ経哲草稿くらい読まなきゃなと思ったりもする。ちなみに「共産党宣言」は薄いし、しかもあれはアジ文だからすぐ読める。それと、法律学を学んだ端くれならば、ロールズ先生は読んでおこうかなとも思ったりもする。
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コメント
日本の大学はリベラルアーツ教育、文理融合が超遅れています。欧米は科学と哲学は歴史的に同じ根から生まれたと捉え、日本は、科学は“技術”、哲学は“文系”として分断されたままです。日本の大学でSTS(科学技術社会論)を取り入れたのはここ20年くらいです。科学哲学が“科学の前提”として扱われる欧米では、科学を学ぶ前に「科学とは何か」を問う文化がある。反証可能性(ポパー)、パラダイム論(クーン)、科学の社会性(STS)。こうした議論が理系学生の“当たり前の基礎教養”になっている。日本の大学では、文系でもそういった文化は限定的。欧米の大学では必須或いは準必須になっている”死生学(Thanatology)”は、旧帝クラス出身でもその存在すら知らないのでは?ようやく、国立大医学部の一部で死生学を導入したのが21世紀に入ってからだから。
遅れているのはそれだけではありません。むしろ欧米の大学ほど、非西洋思想(仏教・道教・イスラーム哲学など)を積極的に取り入れている地域は他にないと言っていい。
欧米の大学は「自文化中心主義」を嫌うので、Comparative Philosophy(比較哲学)、Religious Studies(宗教学)、Medical Humanities(医療人文学)、Death Studies(死生学)。これらの領域では、仏教思想は必須の参照枠になっています。
事例として
ハーバード:Buddhist Studies が巨大な研究領域
オックスフォード:仏教倫理・死生観の講義が多数
UCL:医療人文学で仏教の死生観を扱う
スタンフォード:Mindfulness(仏教瞑想)を医学部が正式採用
つまり、欧米は「西洋思想だけで満足」どころか、仏教を“科学・医療・心理学の基礎”として取り込んでいる。
日本こそ仏教思想を医療・科学・倫理教育に取り入れるべきです。
死生学、医療倫理、科学哲学、心理学、メンタルヘルス、AI倫理。これらは仏教と極めて相性が良い。欧米が仏教思想を積極的に取り入れているのに、仏教の本場である日本が取り入れないのは、制度的にも文化的にも“逆転現象”と言えるのではないでしょうか。