どうしてカープファンなんてやってるんだろう。

おもひで

帰り道に空を見上げると、だいぶん空が明るくなってきたような気がする。太陽の光の力も強くなってきた気がするし、夜の帳の落ちるのも遅くなったようだ。そんな中、今日目にした出来事を反芻していると、冒頭の言葉が頭と胸の中に去来してきた。理由は今は言えない。いずれ言える日が来るだろうが、まだその時ではない。

かつて何度も書いたが、私がカープファンになったきっかけは、亡き母に赤地に紺のCマークの野球帽を買い与えられてからである。そして1983年5月31日の「月刊カープファン」との出会いに繋がるわけだが、実は同年のその前に日刊スポーツのポケット選手名鑑との出会いがあった。はっきり言って、そこまではライトなファンの一角だったのだが、それとの出会いで初めてカープの全選手を知ってしまうのである。そこからカープファンとしてのIdentityが強まったのだ。「月刊カープファン」は、その色合いをさらに強めたものなのだ。

カープファンになってから約五十年、そのIdentityを強めてからも四十数年、一度たりともカープファンであることを後悔したことなんてなかった。しかし、今は心底カープファンであり続けていいのかという思いに駆られている。弱いからというのではない。弱いだけならもっと弱いときがあった。ひとことで言えば、先が見えないのである。今日が暗黒、明日も暗黒なら未来を見るしかないのだが、それすら暗黒なのである。

否、それだけが原因ではない。なんせ未来が暗黒なのは今に始まったことではない。未来を明るくするには松田一族の誅滅しかないが、そんなことできようもない。せいぜい今の当主の寿命が尽きて次期当主に変わるタイミングに夢を見るほかないのだ。原因は別にもある。それをうまく説明するのは、難しい。なんせ自分でも言語化できないのだから。

しかし、Wittgenstein先生曰く、” Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.”である。きっと真実は語り得ないことの方にあるのだろう。最近はなにかと言語化言語化というが、私に言わせればそれは頭の悪さの象徴である。その一方で、その真実を何らかの方法で伝えなければいけないのは確かである。ただそれが言葉でなくても良いではないかというだけである。

少し逆説めくが、それを伝えるためには、やはり私はこうやって書いていくことしか出来ない。語り得ないものを伝えるのに書くことを選ぶというのはどういうことかと言われそうだし、Spinoza先生曰く、「笑うな、泣くな、ただ考えよ」ともいえるのだが、私は考えるに当たって感情を顕わにしないと気が済まないのである。

自分でも何を書いているのか良く分からなくなってきたし、いったいおまえは何を言いたいのかといわれそうだが、今日はお許し願いたい。ただ、何かカープファンであるIdentityを消し去りたくなる出来事が起こったということなのである。そこから今年もまた「諸国民の王」を立てて、親愛なる領導様が好き放題やるんだろなということに思いが至るとやってられなくなるだけだ。せめてちびの伍長の甥っ子くらい出てきてくれないものだろうか。いかん、芥川龍之介の最晩年の作品みたいになってきた。

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コメント

  1. Иван Иванович より:

    管理人さんが記された、Wittgenstein先生の” Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.” しかし、Wittgenstein先生の死の直前の言葉は、「Tell them I’ve had a wonderful life.」 これ、ギャグですか?思わず笑っちゃいます。彼はケンブリッジ大学の教壇に立ち、支離滅裂なことを「語っています」けど。”逆説的な美学”なんでしょうかねえ。

    ” Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.”は、語源的には仏教語「言語道断」に近い。「言語道断」は、元々は仏教の言葉で,本来の意味は「深い真理や奥深い境地は、言葉(言語)では説明できず、言葉での表現の道が断たれている(道断)」という、深遠な教えを示すポジティブな言葉でした。
    ただ、Wittgenstein先生は“論理の徹底による破綻と限界”、仏教は“言語の放棄による自由”という「沈黙」に対する方向が真逆ではあるけれど・・・・・・

    恋愛でも、ギャンブルでも、芸術でも、推しでも、本当に深くハマっているときって、理由が言語化できないんですよね。説明できる時点で浅い。でも「道」を極めた人は、説明した瞬間に陳腐化することを知っている。

    まあ、人生は死ぬまでの暇つぶしですから、複雑さやカオスがないと、退屈するんじゃないですか。

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