現在、当地は激しい雨。明日からの開幕シリーズには影響しないようだが、このまま雨で流れてしまえと思う自分がいる。それほど、景気が上がらない。開幕前夜というわくわく感など、とうに消えてしまった。いや、カープ自身によって消されてしまった。
本当に、オープン戦の内容は絶望と呼ぶに値する。勝てない、点が取れないというだけではない。致命的に野球が古めかしいのだ。なんか昭和四十年代のカープってこんな感じだっただろうなという気がするのだ。それほどまでに、絶望的だ。
私もいい加減古い人間になってしまったが、鶴田浩二翁がいうまでもなく、古い人間ほど新しいものを欲しがるものもしれない。しかし、逆もまた真なりかもしれぬ、新しいと思っている人間が得てして黴の生えたような古くさいものを墨守するきらいは確かにある。今のカープって、そうかもしれない。
なぜか、最近のカープファンは二言目には機動力野球こそカープの伝統と考えている。しかし、嘘だ、といって語弊があるなら間違いだ。カープが黄金期を作ったのは攻撃野球、打ち勝つ野球である。機動力というのは、武器のひとつに過ぎない。いかに最近のファンがほざこうと、我々はそれが間違いだと言い続ける義務があるだろう。
え?「守り勝つ野球」?まだそんなものに騙されるかい?なんどでもいうけど、あれはハジメの発明品だから。他のチームが「守り勝つ」というのは得点力の前提があるからだからね。「守り勝つ」だけが自己目的になったドラゴンズの凋落に、学ぼうよね。
カープがもし、今シーズン覇権を奪うなら、打力の裏付けしかない。いかに投手力が強くてもそれだけでは勝てないというのは、昨年痛いほど分かったんじゃない?まあ、昨年のカープの投手陣が強力だったかと言われれば、些か疑問はあるが。
それに、今のカープの戦力で、普通のことやったって駄目だ。ならば、振り切ればいい。問題はどちらに振り切るかだ。昨年と同様にマゾヒスティックなまでの守りの野球をやるのもひとつの手だが、問題はプロの興行としてそんなのが許されるかどうかだ。もちろん、否だろう。なんかそれを愛でれば格の高いファンだと勘違いしている向きも多いのだが、縁なき衆生は度し難し、である。
ほんとうに、どうせだったら徹底的に打ち勝つ野球をやればいい。野球というのは10点取られても11点取れば勝てるという競技だし、フットボール系のように制限時間もない。ならば、腹くくって点を取ることにシフトするのがひとつの手だ。そして、その方が見ていて面白い。どうせ勝てないなら、ファンにエキサイティングな見世物を見せるのが、運命だろう。
さあ、赤ヘル戦士たちよ。栄光のために打て。打ち勝て。火力で戦え。そうすればあ、投手力が壊滅的な状況でもないのだから、拾える白星が出てくる。それが出来れば、自信になる。そして自信が新たな白星を生むという循環が生まれるのだ。カープが覇権を奪うためには、それしかない。
今は亡きツタブンさんではないが、とにかく今いえることはひとつ。
打て、打つんじゃ。






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