時に元禄十五年十二月十四日 江戸の夜風を震わせて

おもひで

響くは山鹿流儀の陣太鼓、しかも一打ち二打ち三流れ、と続けば言うまでもなく三波春夫歌謡浪曲の名作「元禄名槍譜 俵星玄蕃」であるが、今日は12月14日、赤穂義士祭の日である。36年前に赤穂を離れて以来、土日に重ならないと見ることかできなくなったが、今年は土曜日。10年ぶりに行ってきた。

しかし、すっかり規模が縮小していた。かつては義士行列などのパレードが大石神社をスタートに赤穂の街中をほぼひとまわりしていたのだが、今は観光客の来るところをまっすぐ通るだけ。これは寂しい。お客さんはそれなりに来ているものと思われるが、往時ほどのにぎわいではないように感じた。

期待していた出店もすっかり縮小していて、10年前にあった姫路駅名物「えきそば」や赤穂市民のソウルフード「プライ饅頭」の屋台もなかった。ただ、焼き牡蠣など牡蠣を売る出店はそれなりにあったのが救いだ。何と言っても赤穂は坂越の牡蠣は日本一、と勝手に思っている。

目玉はもちろん義士行列で、先頭の内蔵助役に大物ゲストを呼ぶのが最近の習いである(昔はなかった)。10年前は松平健で、非常にかっこよかったのを覚えている。それが西郷輝彦になり、中村雅俊になり、今年は内藤剛志。なんかイメージに合わないと言ったら怒られるか。

もっとも、討ち入りの時の大石内蔵助は数えで四十五だから、そのイメージにあわそうとすると仕方ないのかもしれない。そのうち郷ひろみとか本木雅弘とか木村拓哉になるかもしれぬ。それはそれでいいんだろうな。

もっとも、忠臣蔵の物語では、大石内蔵助役はまあ誰でも良い。片岡千恵蔵とか長谷川一夫ならまあ「仮名手本忠臣蔵」以来の古典的なイメージになるだろうし(里見浩太朗もこの線か)、緒形拳が大河ドラマでやったときは中間管理職の悲哀を前面に出したと記憶している。中村勘九郎(勘三郎)には賛否あったようだが、山科のお茶屋遊びをしている姿があんなに嵌った人もいるまいと思う。

逆に、イメージを外してはいけないのは浅野長矩公と吉良上野介公である。長矩公はいかにもクソ真面目な若殿様で、吉良公は腹に一物ある意地悪爺さんでないと狂言回しにならない。極端な話、ここに渥美清や藤山寛美を宛てたら、芝居が壊れてしまう。あとは大石主税か。父に従い忠義に生きる悲運の美少年のイメージでないといけない。

大昔にも書いたが、長矩公は武より文の人で、特に茶の湯を好んだという。赤穂銘菓塩味饅頭はその名残である。だからこそ吉良公を脇差で切りつけるなどということをやったのだろう。あれがもし長太刀だったら、あるいは脇差で急所を突いたら、全然物語が変わってしまう。ある意味今に至る赤穂市の観光資源を作った恩人かもしれない。

その段で言うと、大石内蔵助は筆頭家老だけあって、やはり能吏だったらしい。「昼行燈」との渾名はあれど、見えないところで汗をかくタイプだったのだろう。まあそうだ。仕事してますアピールだけ一丁前なやつにろくなのはいないし、人もついていかない。我が社などそんなのばっかりだから辟易するが。

などと考えたら、義士祭だけでも話の種になる。もっと書きたいこともあるのだが、長くなりすぎるので日を改める。そういえば来年は日曜日にあたる。また家人を連れて行こう。父の様子見がてら。そういえば、11年前に義士祭見物で帰省したときは、母との今生の別れになってしまった。せめて来年は、そうならないことを祈る。というより、自分が心配だが。

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