忘れざることごと

おもひで

昨日の更新は実は20日に日付が変わったあとだったこともあったし、いろんなことを盛り込みすぎたこともあって、36年前の「10.19」については書かなかった。もちろん、さんざん書き尽くしたからということもあるのだが、敢えて引っ繰り返してみることとする。

 ちょっと一息

もはや「10.19」といえば、野球を語るときには注釈抜きで36年前のそれを差すと認知されているだろう。そんな日、私は上賀茂朝露ケ原にあった駿台京都校の寮にいたのだが、当時テレビがなかったのでラジオで一生懸命聞いていた。だから、第1試合9回表に鈴木貴久の魂のホームインで感極まって声を詰まらせた西野義和アナや第2試合での涙を流しながらのアベロクさんの中継は、後にビデオで見た次第だ。

 DLsiteでお得に読む

で、これを語るにはまず同年の「10.15」が前に来るのだが、あの日の夕方、大阪球場に「南海ホークスの歌」のペットソロが響き渡った後あたりから、私の頭の中は真っ白になってしまった。それを受けての「10.19」の結末である。もう頭の中は真っ白なんてものではなかった。完全に虚無感だけが訪れていたのである。

 ちょっと一息

私の正史的に語るならば、ここで近鉄バファローズの戦いぶりに感激して近鉄ファンになった、と語るのだが、正確に言えば違う。身も心も一瞬真っ白になって、当時の寮の中で(4人部屋だった)、本当に突発的に「近鉄ファンをやる」ことを宣言して「しまった」のだ。なにか心のスキマを埋めたいという無意識の思いが、近鉄バファローズに化体してしまったのではないかと思うしかない。

 DLsiteでお得に読む

まあ、カープファンだった私が広島にたどり着いたのは、何度も書いたとおり結果論である。当時の私は、ずっと京都に住む気満々だったから、関西に住むための縁が欲しかったことは、間違いない。野球観戦の主戦場は大阪球場から藤井寺・日生球場にしようという目論見があったのだろう。その割にはなんで関西の私大受けなかったのかというのは、もちろん結果論でしかない。

 ちょっと一息

良くないことは記憶からデリートしたい機能が働くのか、1988年3月末から1989年4月初頭までの記憶は、見事に抜け落ちている。本当に記憶に残っているのは、大阪球場で野球を見たこと、南海ホークスの身売りに関わる諸々と、この「10.19」くらいであって、あとは断片的でしかない。それだけ、このことは私の心の襞にぐっと食い込んだのだろう。

 DLsiteでお得に読む

ところで、愛する球団の消滅と言えば、まさにその近鉄バファローズを舞台にその26年後にスラップスティックが繰り広げられたところである。言うまでもなく、私はその時は統合球団になびくことはしなかった。その理由は、

明日にでも書きますかね(ネタがなければ)。

人気ブログランキング広島東洋カープランキングサンフレッチェ広島ランキングにほんブログ村 野球ブログ 広島東洋カープへにほんブログ村にほんブログ村 サッカーブログ サンフレッチェ広島へにほんブログ村PVアクセスランキング にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました