ある鯉党のたはごと2023最終章前編;まだまだ甘いぞ、アライさん。

下馬評を覆して2位になったということで、カープファンの今シーズンに対する、そして新井政権に対する見立ては、総じて好意的だといっていい。しかし、本当に2位というのはよく頑張った結果と言えるだろうか。私は懐疑的だ。むしろ、やれるところでやらかしてドジを踏んだという思いすらする。普通にやってれば優勝できた、タイガースの後塵を拝さずに済んだという思いがしてならないのだ。

その典型が、7月30日の甲子園球場だろう。毎度毎度大瀬良が崩れたものの、8回表に2点取ってなおノーアウト1,2塁。バッター小園に対する送りバントの指示で今シーズンは終わったといっていい。どう考えたって、あの3連戦でもっとも相手投手を攻略していたのは小園なのだ。そこで送りバント。しかも2点ビハインドの場面。送りバントなど絶対NGといっていいところだった。それを理解できていない指揮官など、一文半の値打ちもないと言って良い。

あの後のノムカンくんのコメントは「あれで助かった」という趣旨のものだったと記憶している。逆に、カープファンからいえばあれで今シーズンは終わったといって過言ではなかった。それほどの重大な采配ミスだった。あの場面でああいうことをやらかすというのは、新井はまだまだぬるい証拠だろう。

さらにいえば、あの甲子園球場での3連戦は、カープが10連勝して、タイガースをとらえて首位に立った直後のカードだった。申し訳ないが、あそこでさらに鞭を入れなくてどうするというところだったのだが、新井はそれをしなかった。勝負はまだまだ先だと言い続けて、結局あれ以来ずるずると下がり続けた。これはもう勝負勘のなさをさらけ出したといっていい。

だから、とてもじゃないがよく頑張ったっという気にはなれない。まあ監督初年度だから初期不良だってあるとは思うが、それを直す気がなければ前任者と変わらなくなってしまう。なので、今シーズンの成績が良かったということで持て囃していたら、来年はまた元の木阿弥になってしまいかねないのだ。それでいいわけないだろう。

かつて故三村敏之氏は、1995年にスワローズと競り合ったときに、やはり勝負はまだ先と呪文のように言い続けた。しかし夏場の胸突き八丁の時期に有効な手を打てず、優勝戦線からずるずると下がり続ける結果となった。だから指揮官としては一度は通る初期不良なのかもしれない。だから、今年の結果だけを持ってただちに凡将扱いはするつもりはない。ただ、物足りなさを大いに感じたことは事実だ。

新井をはじめ首脳陣には、今シーズンの結果については、可能な限り批判的に振り返っていただきたいと思う。何が良かった何が悪かったではなく、すべてフラットな目で、客観的に俯瞰することが重要だろうと思う。新井には出来ないかもしれないが、藤井なら出来るだろうと思う。まあ藤井もカープ移籍1年目でまだまだチームのことを分かっていなかった面もあっただろうから、来年はやってくれるだろうと信じることとする。

残念ながら、今年の成績を踏まえても、来シーズンは明るいとは思えない。それを覆すことが出来るとしたら、新井が成長することに尽きるだろう。もちろん監督の力だけでどうこうできるものではない。しかし、今のセントラル、いやパシフィックを見回しても、Armadaのようなチームはいない。申し訳ないが、どんぐりの背比べだ。バファローズが三連覇したけれども、バファローズが強くなったというよりはよそがレベルが落ちたといった方がいい。だから、うまく立ち回れば、栄冠に手が届く可能性は、十分にある。

しかし、もうひとつ来シーズンも期待薄になってしまう理由がある。これについては、もう長くなったので後編に回すこととする。ただ、その前振りとして、若き正岡子規の勇み足を引用して、今日は終えることとする。

「歌よみの如く馬鹿な、のんきなものは、またと無之候。歌よみのいふ事を聞き候へば和歌ほど善きものは他になき由いつでも誇り申候へども、歌よみは歌より他の者は何も知らぬ故に、歌が一番善きやうに自惚候次第に有之候。」(「三たび歌よみに与ふる書」(1898年2月18日付け))

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コメント

“ある鯉党のたはごと2023最終章前編;まだまだ甘いぞ、アライさん。” への1件のコメント

  1. Иван Ивановичのアバター
    Иван Иванович

    「歌よみの如く馬鹿な・・・・・・」
    痛烈。喧嘩を売ってるねえ。
    歌人ほど馬鹿でのんきなものは他にはない。歌詠みは和歌が一番とうぬぼれているが、他の文学を全然知らんではないかと。
    紀貫之は下手くそな歌よみだよ!と一方的に古今集を貶すのは、天皇の「勅命」によって宮廷内だけで作られた、予定調和的な差し障りのない、どこにでもあるようなありきたりの和歌に我慢ならない、といったところか。「十たび歌よみに与ふる書」では、明治天皇直々に出来た役所をボロカスにこき下ろすという危険を冒している。華族制度に批判的な立ち位置が透けて見える。

    子規は野球が日本に伝えられた当初からの熱心なファンで、そののめり込みようは弟子の河東碧梧桐に「変態現象」と言われたほどだったとか。

    そのあたりは管理人さんのほうが詳しいと思うので、後編に乞うご期待。

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