今日の予告先発が斉藤優汰だと聞いて、ふと2022年ドラフトの“あの事前公表”を思い出した。あの時から私は首をかしげていたし、どう考えても森下翔太に行くべきだったと今でも思っている。しかし、当時のカープファンは妙に静かで、まるで「そういうものだ」と受け入れていた。いや、受け入れざるを得ない構造があったと言うべきかもしれない。今日の試合を前に、その静けさこそがカープの弱さを形づくってきたのではないか──そんな思いがどうしても拭えない。
事前公表ドラフトという“最初の誤り”
今日のタイガース戦の予告先発は斉藤優汰。2022年ドラフトで、カープがわざわざ1位指名を事前公表までして獲得した投手である。私は当時から疑問を抱いていたし、そもそも事前公表するほどの存在ではないと考えていた。しかし、カープファンの反応は妙に鈍く、それを淡々と受け入れていた。客観的情勢からすれば、どう考えても森下翔太に行くべきだったのに、批判らしい批判はほとんど聞こえなかった。
批判が生まれない“カープ文化”の病理
もちろん、私自身も強く批判したわけではないから、今さら言う資格がないのかもしれない。その点は自己批判せねばならない。ただ、今になっても斉藤優汰指名を批判する声がほとんど上がらないのは、いったいどういうわけなのか。いや、これは少し意地の悪い言い方で、結局のところ松田元の専横によって決まった指名だからだ。少なくともコアファン層は、それを批判できない構造にある。
オフェンス軽視が招いた長期的弱体化
私は、栗林良吏を事前公表した2020年ですら「佐藤輝明に行くべきだ」と主張していた。投手陣の再生よりも、オフェンスの火力低下のほうが喫緊の課題だと考えていたからである。後付けと言われるかもしれないが、今のカープの現状を見る限り、私の見立ては正しかったと言うほかない。栗林の場合は結果を出したからまだ納得できるが、斉藤優汰の場合は話が別だ。やはり「だから言わんこっちゃない」と思わざるを得ない。
投手偏重という信仰構造
そもそもカープファンの悪癖は、二言目には「ピッチャーの強化」を唱えることだ。確かに投手は特殊技能であり、数が必要だ。しかし野球は得点を取り合う競技である。得点力を疎かにしたまま「投手中心の守り」を掲げても、それは砂上の楼閣にすぎない。そのうえ守りの要であるキャッチャーまで軽視しているのだから、何をか言わんやである。
カープファン自身が生んだ弱体化の連鎖
その意味では、カープファン自身がカープを弱体化させたと言っていい。以前も書いたが、斉藤優汰こそその象徴である。なぜかオフェンス強化に後ろ向きで、二言目には守り守り。その結果が今のカープであり、投手力と並行してオフェンスを強化してきたタイガースとの差は、もはや比較するまでもない。
松田元体制と“背教”を許さない宗教性
こうした状況を生んだ理由は、松田元の弱体化政策に、ある種のカープファンが易々と乗ってしまったからだ。彼らにとって松田元は唯一絶対神であり、それを否定することは背教に等しい。だから逆に理屈にならない理屈を持ち出して、私のような見解を批判する。それは彼らにとって一種のJihadであり、宗教的恍惚なのだろう。
斉藤優汰は擁護され続けるべき“象徴”
翻って斉藤優汰である。善意のカープファンたちは、今日の──いや今シーズンの──斉藤優汰がどんな結果になろうと、決して非難してはならない。何があっても擁護しなければならない。彼こそ、君たちの誤った言動の象徴であり、その現在地なのだから。たとえ今日、獲得できたはずの森下翔太にズタボロに打たれてノックアウトされたとしても、徹底的に擁護すべきだ。
斉藤優汰への最後のアジテーション
さあ斉藤優汰よ。私は昨日書いたとおり、今の君に爪の先ほどの期待も持っていない。多くのファンもそうだ。タイガースはきっと今日はボーナスステージだと思っているだろう。そしてそうなる可能性は極めて高い。それでも、君自身は何も思わないのか。ただ一生懸命投げて、たまに良ければ勝てるかもしれない──そんなレベルで満足なのか。私から言えることはただひとつ。
働け斉藤優汰、悔しかったら勝ってみろ。
結局のところ、斉藤優汰の現在地はカープが積み重ねてきた誤りの帰結にすぎない。だからこそ、今日だけはその象徴が構造を裏切ってみせる瞬間を見たい──働け斉藤優汰、悔しかったら勝ってみろ。
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