「仕事の違い」を理解できなきゃ。

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クラシックに通じてない人でも、ヘルベルト・フォン・カラヤンという人をご存じの方は多いだろう。とにかくカラヤンと言えば手兵は一流中の一流で演奏する曲も評価の定まった曲ばかり。一流志向の塊の人である。クラシックマニアでも好き嫌いは分かれるようだが、曲者揃いの一流オケを手中に収めて難易度の高い曲を格調高く奏でる技術は評価せねばならない。

一方で、私の好きな指揮者でヘルベルト・ケーゲルという人がいる。旧東ドイツの指揮者で近現代音楽を中心に極辛口の世界を繰り広げた人だが、手兵のオケはライプツィヒ放送交響楽団とかドレスデン・フィル。二流とまでは言わないがどちらかと言えば格下だ。それをおそらくはぎりぎりと締め上げて独自の美学を展開する。要するに、仕事が違うのだ。どちらがいいというものでもない。音楽は個人の好みの世界だから、好き好きでよいのである。

これからはベートーヴェンの交響曲第9番が流れる季節だが、カラヤン&ベルリンフィルがナンバーワンかと言えばそうではないところがあって、私に言わせればゴージャスすぎる。むしろ、オケや合唱に粗はあるが、ケーゲルがドレスデン・フィルを振ったライヴ版の方が妙に説得力があるし、極辛口の中に潜む「燃える男」ケーゲルが出ていて好きだ。一方、最近優勢のピリオド・アプロウチならばフランス・ブリュッヘンかニコラウス・ハーノンクールかというところだろう。

話が逸れたが、プロオケを振る指揮者一つとっても、仕事は違ってくるのだ。カラヤンは良くも悪くも大衆向けだし、その意味ではクラシックを大衆に下ろした功績は大きい。一方ケーゲルは旧東ドイツの放送オケを振っていたという背景事情を見なければなるまい。旧共産主義国ではカラヤンのような仕事は出来なかったのである。

まあ、文化に政治が介入するとろくなことがないのは日本でも同じだった。古関裕而に軍歌や戦時歌謡を書いた過去があるのと同じだ。それでもケーゲルの場合はその中であれだけの奇跡的な名演を残したことが伝説化されている所以だ。同じ時期に旧東ドイツにいたクルト・マズアという人があまりにも凡庸だったというのもあるのだが。

また話が逸れた。これは別に指揮者の世界だけではない。料理人だってそうで、超一流の材料を使いそれ相応の値段を付けても客がつくレストランのシェフと、カリテ・プリを相談しながら然るべき値段で提供しなければならない街中華や洋食屋のシェフとでは自ずと仕事は異なる。前者が後者の仕事をしたら客が来なくなるし、後者が前者の仕事をしたら店がつぶれてしまう。

それでは、プロ野球の世界はどうだろうか。はっきり言う。同じプロフェッショナルを名乗るなら、12球団(オイシックスとくふうハヤテは一応別枠とする)仕事に差があってはいけないのである。そのあたりをカープファンは理解していない。資金力の差がーとすぐカープファンは口にするが、たとえそれがあったとしても(もちろん嘘だが)、負ける理由になどならないのである。戦力の差がつく理由にしてはならないのである。

確かにアマチュアはそうではない。東京大学野球部や京都大学野球部は他の五大学と戦力差があって当たり前だ。それでも京大など近田怜王を監督に迎えてそれなりのチームを作っている。高校野球はもっとそうだ。大阪桐蔭の西谷浩一監督とかつて加古川北高校を率いた福村順一監督が同じ仕事の訳がない。そこには「弱者の野球」というものが確かに存在する。それは、やりたいけれども避けられない制約から出来ないからなのである。

プロ野球はどうか。そんなものはあってはならないのだ。プロ野球は見世物、大衆芸能である。お客さんを喜ばせてなんぼであるし、それはチームの勝利でなければならない。資金力がーなんていう言い訳はもっとも恥ずかしいものだし、そんなことを言う向きは頭の中のお味噌を詰め替える必要があるだろう。というより、恥を知るべきだ。

カープもプロ野球でございというのなら、一流の手兵を揃えて、一流のシェフに委ねなければならないのである。今のカープは、手兵は三流だし、指揮官はアンポンタンだ。だから弱いのである。それに目を背けて一生懸命応援ごっこやって、そんな自分って美しいと思うあほうのなんと多いことよ。

そして、もうそろそろ資金力がーといういいわけはやめたほうがいい。仮にもカープは株式会社である。金がないというのは経営の失敗であり、経営者は厳しく査問され、退場させられなければならないのだ。それをさも金がないのが美しいと思うような向きは、明日からでも日本共産党に入党すべきだ。まあ、今頃共産党でもそんなことをいうまい。それこそ発想が旧社会主義国家並みなのだ。だから今のカープを私はハジメ人民共和国といっているのだ。

申し訳ないが、これが理解できない向きは、カープファンなどやめた方がいい。いや、やめてほしい。有害だから。今のようなカープを後世のファンに残すのは、カープ黄金時代を見せてもらった世代にとっては忍びないことこの上ない。

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コメント

  1. Иван Иванович より:

    管理人さんが述べておられるように、音楽は個人の好みの世界だから、好き好きでよい。

    ちなみに、カジュアルにクラシックを楽しみたいならドレスデン・フィルで、本格的なクラシックの名曲や伝統を感じたいなら、シュターツカペレ・ドレスデン。前者は市民のためのオーケストラとして親しまれ、コンサートホールはオーケストラ専用で、音響設備にも優れた設計になっている。後者は世界でベスト5に入るハイレベルのオケで、演奏本拠地ゼンパー・オーパーは、美しく煌びやかな歌劇場で雰囲気は抜群だけど、建物自体戦後に再建されたやや古びた感じ。音響設備はドレスデン・フィル、クルトゥアパラストの圧勝だろう。ホールの雰囲気が良くても音響が悪いとストレスが勝ってしまう。プロなら音響の良いホールを選びたいのが本音。「煌びやかな歌劇場の雰囲気は嬉しい。でも音響は仕事のクオリティそのもの」という価値観がプロなんです。

    もっぱら、クラシック演奏は小規模の室内楽を約30年。聴くほうも大規模オーケストラより中規模or小規模室内楽団のほうが圧倒的に多い。
    古典音楽・器楽の原点は“室内楽規模”で始まったというのが歴史的事実で、当時は宮廷・教会・貴族のサロンなど、小さな空間で演奏される音楽が主流だった。16〜17世紀のコンソート、初期アンサンブルが5~10人規模。18世紀・モーツァルト時代も中規模で10〜30人。19世紀前半ベートーヴェン後期で拡大されても30〜50人規模だったから。70〜100人規模の大規模オケ編成が確立されたのは、19世紀後半〜20世紀と歴史が浅い。

    正規の大規模オケよりも、選抜されたウィーンフィル&ベルリンフィル室内管弦楽団のほうが聴き応えのあるクオリティの高い演奏と言えるかもしれない。

    マイブームは、古典派室内オケの”ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズ” 
    ここのユニットは、モーツァルトをレパートリーの中心に据えて活動しており、録音も交響曲・協奏曲・同時代作品まで幅広い。「モーツァルトを聴くならLMP」というブランドが確立されている。
    編成を縮めるだけで、作曲家が書いた線と面がそのまま可視化される。音量で押し切る演奏が横行する中、小規模アンサンブルの誠実さはほっとする。

    大編成の“厚化粧”を好むのは個人の自由だが、少なくともモーツァルトの楽曲は大編成向きではない。ベートーヴェンでさえ、30〜50人規模のオケを想定した曲作りをしているのでね。

    作曲家の意図を無視した大規模オケが奏でる音楽は本物と言えるのだろうか?

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