秋分の日を過ぎたということは、もうこれから徐々に夜が長くなるということである。秋の日は釣瓶落としとはよく言ったもので、定時に逃げ出したにも関わらず、帰りの空はもう薄暗かった。朝晩など風の涼しさに驚かされる時候である。
1969年8月19日、あの決勝戦再試合で松山商に敗れた三沢高校のエース太田幸司に対し、ABC実況の中村哲夫アナウンサーは、「太田幸司に一日遅れの秋が来ました」と伝えた。そして55年経った2024年、9月1日までさあマジックナンバーはいつになるといっていたチームは、9月23日、わずか3週間でとどめを刺された。1日遅れどころか、一足飛びに厳冬である。
それなのに、WEB上の言説を見ていたら、本当にカープファンって甘いんだなと思うほかない。とにかく一生懸命応援しようの一点張りである。この現状がこっ恥ずかしいもので、これを打破しないと永遠に栄光などないということをわかってないか目を塞いでいるかのどちらかなんだろう。
そりゃね、徒にボロクソに言やあいいわけがないし、それは有害無益だ。しかし、今のカープ、どう贔屓目に見ても褒めようがないんだもん。野球は点取りゲームにもかかわらず、点が取れないという致命的欠陥を抱えているのだから。
それでも、徐々にではあるが、現状のおかしさに気づいていると思われる向きもいるようだ。そりゃそうだろう。今年のような結果見せつけられて何も思わないのであれば、とにかく頭が悪いと言わざるを得ない。もっとも、今年の結果があまりにも極端だったから誰にでもわかるのであって、私は今更遅えんだよと言いたい気持ちを、ぐっと抑えているところだ。
ところが、それでもわからない向きがいるのであって、未だに何があっても応援するのがファンの務めだと言うのがいる。これはもう宗教、いやカルトだ。私は幸いに昨日の試合は見ていないが、あんな試合見せられてなお応援しようと言えるほうが私にいわせればおかしい。
そうなると、小松政夫翁ではないが、シラケ鳥飛んでゆく南の空に、である。いや、いつぞやの標題にも使ったが、シラケ鳥すら呆れて飛ばないかもしれない。もはやミジメ、ミジメというゾーンですらないということだ。
私もカープファン何十年もやってきたが、これほどまでに絶望したことはもちろん、これほどまでに無気力になったことはないといっていい。在京時に仕事が死ぬほど忙しくてカーブどころではなかったときくらいかな。しけし、それはいわば外圧でベクトルが弱ったものである。これほどまでに自発的にカーブファンたるベクトルが弱まったことはないかもしれない。
でも、それはむしろ敵の思うつぼなのかもしれない。間違いなく、この現状すら是とする向きがいるのだ。そしてそのトップには、間違いなくこの球団のトップがいる。黙殺や無関心は、彼らと友になるということである。そう思うと、わずかに残る反骨心に火が付くというものだ。
後塵拝してヘラヘラしてるようなダセえ真似だとか我慢ならねえな、とももクロは歌う。そう、何年経っても、我が野心は丸くならない。まさに、カープを駄目にするシロアリのような連中には、お覚悟!のひと声である。
と、ここまで鼓舞するのだが、明日以降の試合をまともに見る気がしない。しかし、まずは私心なく見ることとしよう。優れたクリティークは、やはりウォッチから生まれるのだ。親愛なるKarlなんてそうではないか。その筋の良し悪しはともかくとして。
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コメント
私腹を肥やすために、負けることを喜ぶようなオーナーに対し、大多数のファンが無関心になることが悪徳オーナーを潰す早道だと思うことは批判されることなん?(笑)。そのことが何で悪徳オーナーと友になるのか???全く意味不明。
悪徳オーナーを潰すために団結を呼びかけるほうがオカシイやん。不平不満を内に秘めながら、団結を呼びかけないと行動できない程度なら、たいした熱意ちゃうやん。口先だけ威勢がよくても、批判対象に直接文句を言えないことを、負け犬の遠吠えという。
貧打 貧打 ~ (貧打貧打!)
貧打 貧打 貧打ぁぁ~♪
貧打 貧打 ~ (貧打貧打!)
カープは貧打ぁぁぁ~~~♪
・・・THE BLUE HEARTS(古い?)じゃないっちゅうに!
どうせならマツダスタジアムで歌ってやるか。そうしたら半分反社のハジメの息のかかった警備員に事務所に強制連行されて、大説教ののちに問答無用で出禁の署名をさせられるだろうけど。
だがな、カープを永遠に出禁になるのはお前だ!
大悪徳オーナーのマツダハジメよ!