戦後日本をそう歌ったのはかのトニー谷だが、何か言い得て妙な気がする。トニー谷についてはその特異なコミックソングについて語ってみたい気がするが、それはまあ今日は気乗りしないのでしない。しかし、ほとんど知られていないこの曲たちは、とても戦後すぐに出たとは思えない突き抜けぶりで、私は好きだ。
私はとても外国で暮らせるとは思えない。それは言語がどうこうというより、食事を含めた文化的バックボーンが結局ドメスティックなものでしかないという自覚があるのだ。だから多分死ぬまで日本に住み続けるだろうし、それなりにこの国を愛している。そういう意味での愛国心なら、もちろんある。
しかし、その一方で、私はやっぱり心のどこかに異邦人としての目があるのかもしれない。異邦人といって大袈裟なら、どこかNomadの気まぐれを抱えていると言えばよいのか。そういえば凝り性の割に飽きっぽいしね。いろいろ趣味に手を出したが、続いたものはほとんどない。和装くらいかね、珍しく10年続いたのは。
私は野球全般は確かに小さい頃から見ているし、単にカープファンと言うだけならまあいつからかわからないくらい古い。しかし、カープが日常の一部となるようになった、いやカープが行動を支配するようになったのは、1983年5月31日からといえる。だからもう43年か。ずいぶん飽きもせずやり続けてきたと思う。
なぜ飽きないかと言うと、毎年毎年選手は変わるし、戦いもリセットされて新たなものとなるからだ。しかし、私の場合は、何と言っても三度の日本一というDeep impactがあったからだと思う。これだけの成功体験(自分は何もしていないけれども)が、私を性懲りもなくカープ観戦に誘っているのだろう。岸壁の母ではないが、もしやもしやに引かされて、である。
何度も書いたが、私が広島に居着いた理由はカープではない。大学受験で本命校に落ち、都の西北と天秤にかけた結果、志望学部と違ったことと、当時は国立大学と私立大学の学費の差が大きかったことがあって、上京しなかったのである。その後一時脱出したら就職時に広島に張り付けられて今に至る、というわけだ。
しかし、広島の水には、いまだに自分は合わない。それは兵庫県育ちだからかなと思っていた。事実、東京勤めで死ぬ思いをして帰ってきた時には、最初は広島住みで落ち着いた。しかし、またなんか居心地の悪さを感じるようになったのだ。やはり私は広島では異邦人でしかないと思うのだ。街づくりから何からなんか違うだろうと思うことばっかしでね。
それでも、最後のよりどころはカープとサンフ レッチェだった。しかし、最近カープの方が怪しい。何かカープファンやるのに今や広島住みはアドヴァンテージでも何でもないような気がする。ひと言で言えば、情報過多。しかも当局の都合のいいような偏向情報の山なのだ。聞いててイライラするしね。
だから、今割と真剣に広島脱出を考えている。なんせあんなアホバカ首長が擬せられる限り広島に明日はない。どうせ沈む泥舟にいつまでもいたところでいいことは何もない。カープに関してだけ言っても、あんな不健全な組織をみんなで寄って集って国体護持よろしく奉っている姿を見せられるだけで、反吐が出そうだ。
少なくとも広島という都市に関する限り、私はよそ者であることは間違いない。ならば、この都市の行く末に責任を持つ筋合いは何もないともいえる。いや、言いたいことは散々言ってきたから、もう知らないよという気持ちのほうが大きい。そういう意味で、広島という街への愛郷心は全くない。本当に、滅びてしまえと思う。
カープについてもそうだ。ハジメ原理主義神権帝国の驕り高ぶりばかりが見えるのはあぢきない。今回のエトミデート疑惑をなかったものにしようとしている傲慢さも腹立たしい。もしそれで今のカープが崩壊するなら、それでいいと思う。リコンストラクションは難しいかもしれないが、有為の人材を得れば、案外早いかもしれない。
さて。京セラドーム大阪でのオープン戦、どんな目が出るかな。合わせて二軍はタマスタ筑後でホークス戦がある。たぶん二手に分かれて調整ということになるだろう。求められるのは、内容も結果もだ。勝たねばならないし、その内容は公式戦に向けて明るい未来を予感させるものでなくてはならない。でも、無理かな。そんな期待をすることこそ、トニー谷ではないがバッカじゃなかろかと言われることなのかもしれぬ。
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