去る11月22日にPCIの手術を受けて以来、術後も予後も、そして職場復帰後も極めて順調に思っていたのだが、今日の昼前に異変が起こった。明らかにあのときと同じような胸の締め付け感があったのである。違うのは冷や汗が出なかったのと数分で収まったこと。しかし、あまりにも気持ち悪かったので主治医の元に行った。入院した病院に直行の恐れを抱きながら。
下された結論は、疑いではあるが狭心症。おかげで薬が増えたのと、もれなくニトログリセリンのお世話になることとなった。あまり気分のよいものではないが、生きるためだから仕方がない。まだくたばるわけにはいかないのだ。やらねばならないこととかやりたいことが、まだ私にはたくさんるのだ。まあ、ままになる日もならぬ日も、というところだろか。
しかし、やっぱり心臓の病というのはやっかいだ。なんせ機能不全を起こしたらその時点で人生おしまいだ。梗塞を起こして弱った部分を戻すには一朝一夕には行かないということだろう。現在は階段の上り下りも恐る恐るではあるができるようになった。でもそれでも長い上りは息が切れる。ただやらなきゃ元には戻れない。歩みを止めずに夢を見なければならないのだ。
とにかく、生きながらえなければならない。一年三百六十五日の連続を、まだまだ何セットも繰り返さねばならないのだ。兼好法師の言ったことなんて知ったことじゃない。当の本人だって長くても四十路こそなどと言いつつ七十余年生きたのであるから。私はわりと正直に120まで生きたいと思っているし、ヨシヒコもそんなことを言ってるらしい。
私の父方は比較的長命なのだが、母も母方の祖母も七十前後で亡くなってしまった。いずれも病が原因である。だから、天寿を全うしたというわけではない。さぞ悔しかったことだろうと思う。母方の祖母は、胃がんで当初余命数ヶ月と言われていたのを、私の大学受験が成就するまで待っていてくれたのである。なので第一志望に行けなかったのが今でも悔しいのである。
だから、生への執着心は割と強いほうだ。逆もまた真なりで、死への恐怖心は人一倍強い。東京で仕事をしていて、何もかもうまくいかなくなってメンタルを病んだとき、もう本当に自分なんていなくなってしまえばいいと思ったが、そうならなかった。きっと上記の理由によると思う。もちろんQOLも大事なんだろうが、ただ生きてりゃいいさと思うのである。
ずいぶん柄にもないことを書いてしまった。もうひとつ、そうそう簡単にくたばれない理由は、どうしようもないカープの蘇生を見届けなければならないからである。四十年以上も日本一になれないなんて恥だ。しかし、それを恥と思わない自称ファンのなんと多いことよ。広島にカープがあることが大事で勝利は二の次三の次という向きが多いことには驚かされる。
カープはプロである。強くなるために歩みを止めずに、そしてファンもまた歩みを止めずに夢を見なければならないではないか。それが正道だと思うし、それ以外の道は誤りだ。バカープファンは弱いカープを応援するのが正道とでも言いたげだが、何考えてんのかと思う。というより、そんなの選手に対する冒瀆だろう。いや、冒瀆されるような選手しかもういないか。
だから、オフェンスに役に立たない非力なチビが重宝されるのである。そして性懲りもなくまた取ってくるのである。それを喜んでみているバカープファンには辟易する。これがハジメのカープ弱体化計画の一環とも思わずに。いや、知っているのだろう。カープが強くなっては困るのだろう。だって、自分たちの「推し活」の根拠が崩れるから。莫迦莫迦しい。
そう思うと、やっぱりまだくたばっておられない。ほんとうに120まで生きないといけないかもしれない。少なくともハジメより先に死ぬわけにはいかない。もっとも、何度も言うように、ハジメの終わりはカープの終わりの始まりかもしれない。だから、その前になんとか松田家支配を終わらせたい。カープを蘇生させるには、それしかない。
人気ブログランキング

コメント
どうぞご自愛下さいませ。死に水を取るのが、死に水を取られませんように、、 HJMより先に逝っちゃあきまへんで、、、 全快されるまで、もっと気楽に見られては?どうせM田商店のうちは弱いんですからね。