今日は遺恨ながら仕事の終わりがどんどん遅くなってしまった。ほんの数ヶ月前ならまだ残り陽があった時間帯だが、もうすっかり暗くなってしまい、帰宅頃には夜の帳が落ちていた。来週は秋分。いよいよ秋から冬になる時節だ。
何度も書いたようだが。私はこの時期、特に晩秋から初冬にかけてが非常に苦手だ。なぜか心身ともへたってしまうのである。特に受験生の頃は、追い込みの時期にもかかわらず全くやる気がでなくて困った記憶がある。とくに京都で見た鈍色の空から時雨が降ってくるのは、最低にたまらなかった。京都の一番嫌なところである。
それでもカープが強ければ、しかるべき成績を残せば、少しは気が紛れるのだが、残念ながらそれすら期待できない。今年は確か新井が「痛みを伴う変革の年」といったはずだが、その痛みというのはファンが負担することを意味するということを、カルト的ファンや狂信者以外はようやく気がついたようである。
しかし、だから何が変わるかと言われても、何もありそうにない。私はあのタイガース優勝決定試合で見せた醜態以来、新井は退陣すべきという見解は変えないが、声人が野村謙二郎という莫迦なことをいうなら、まだ新井のほうがましだ。野村謙二郎と言えのは絶対に人の上に立ってはいけないタイプであることは、長く上に立つものを分析してきた私が保証する。
なぜって?わが社にたくさんいるタイプだから。こういうのが組織を滅ぼす、とまで言わなくても正常化の妨げになっているのは明々白々だから。本当は逐一例を挙げて書いてみたいのだが、さすがに守秘義務やらなんやらがあるので、現職にあるうちはまだ書けない。しかし、書けるようになったらぶちまけてみたい。
それに、多くのカープファンが間違えているところだが、いくら新井を斬っても、ハジメいる限りまっとうな指揮官が擬せられることはない。諸悪の根源はハジメなのである。奴を斬らないと、カープに明日はない。しかし、こんなのを祀り上げているバカープファンのせいで、カープの現状の問題点がすべて放置されているのだ。
本来ハジメというのは、真っ先に断罪されるべき人間である。彼奴のやったチーム弱体化策謀は悪魔的にうまくいったし、特にオフェンス弱体化は完璧に成功した。それを糊塗するためのスローガンこそ、「投手を中心に守り勝つ野球」であることに気が付かない向きが多すぎて情けない。今でも二言目には「守り勝つ野球」とほざく向きが多いが、それで何が解決するのか、そもそも「守り勝つ野球」ってなんなのかと言ってみたい。
話があちこち飛んでいるが、要するにいくら指揮官が代わったって今のままじゃ勝てませんぜということである。いうまてもなくハジメは株式会社広島東洋カープの代表取締役、すなわち社長である。社長といえば指揮官の中の指揮官、まさに総大将である。しかし総大将が先頭に立ってチームの弱体子を推し進めている姿を、誰もおかしいと思わないのだろうか。
で。明日からは対タイガース最終2連戦がある。ここまでボロクソにやられたのならせめて最後家来かってみろと言いたいが、できるかね。それはさておき、ここまでタイガースにやられたのなら、誰か一人くらいタイガースの戦略に学べということをいうのが出てきそうなものだが、なぜかいない。不思議なものだ。
まあそれは半分嫌味であって、タイガースの栄冠はいわゆる「守り勝った」ものではないからだろう。当たり前だがタイガースの今年の栄冠はオフェンス力で決まったようなものであるその中でもサトテルや大山、近本あたりは縁がなかったですましてよいかもしれないが、森下は違う。カープだって手が届いたのである。しかし、それを振り切ってカープが一本釣りしたのは斉藤優汰。なにをどう見てもあり得ない選択だ。
だから、ハジメを批判できないバカープファンは沈黙するしかないのだ。それどころか、現状のカープの変革を求める声を潰しにかかるのである。こうなると、誰が敵で何を斬らねばならないのかが可視化されてよい。我々の最大の敵は、実は同志なのである。
明日の予告村発は床田寛樹と村上頌樹。今日の公示を見ても、また真っ当な野手を昇格させなかった。本当に今のカープの野球って、プロ野球の骨董品のようなものだ。本当に鼓を持って舞でも踊るかい?まあ無理か。






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