続・昭和は遠くなりにけり

私の感覚からすれば、やはり昭和というのは昭和天皇の崩御がメルクマールになっているところがある。事実、代替わりの前後に昭和を代表する著名人の物故が続いているのである。御代が平成に変わった1989年だけみても手塚治虫、美空ひばり、松下幸之助と続いたし、その2年前である1987年(昭和62年)には石原裕次郎が亡くなっている。彼らの物故は、まさに昭和の終焉を感じさせたものだ(石原裕次郎はちょっと早いが)。

とはいっても、やはり昨年から続いた芸能界で一時代を作られた方の物故は、やはり心に来るものがある。その中のひとりに、坂田利夫翁がいる。コメディNo.1というよりも、故木村進、間寛平と組んだテレビの吉本コメディ(その代表作は「あっちこっち丁稚」)で存在感を示していた。笑いの芸人さんの中のヒーローのひとりだったといっていい。

「アホの坂田」がヒーローかと言われそうだが、坂田翁の阿呆役者ぶりはただの痴呆的な阿呆役ではなかった(むしろ漫才ではそのきらいがあった)。そもそも坂田翁はもともと大村崑翁(こちらは卒寿を越えてなおご健在だ)に憧れて笑いの世界に入ってるから、相当の影響は受けているだろう。ただ、坂田翁単独と言うよりは、やはり進ちゃん寛平ちゃんと相まって光ったという側面は、ある。

それはさておき、坂田翁もまた、吉本興業を今のような大会社にした功労者といっていい。少なくとも戦後の吉本興業は、笑いの殿堂を経営する興行会社としては立ち後れていたのである。うめだ花月を再興したのが1957年(ちなみに松竹芸能は1947年)。その時には、エース格の手駒が先代林家染丸と花菱アチャコしかいなかったのである。吉本新喜劇からスター役者が登場し、さらに笑福亭仁鶴と桂三枝が出てきて屋台骨を支えるのは、その後の話である。

私が子どもの頃の吉本興業は、その意味では黄金時代だった。まさに綺羅星のごときスタアが揃っていたのである。決して上品な笑いとは言えなかったかもしれないが、今の笑いほど下品ではなかったと思う。いや、ライバルの松竹芸能のヴェテランの漫才さんがまだまだ説得力を持っていたから、妙なことやると叩かれて人気が落ちるだけだったのである。

今は、もう吉本興業が大きくなりすぎた。大きくなるのは結構なのだが、出てくる芸人が追いついていない。というより、面白くない。もはや吉本新喜劇なんて見るに堪えないほどつまらないし、漫才さんなんてもっとつまらない。中川家くらいかな。漫才として成立しているのは。あとは、笑わないと仲間はずれになるという脅迫観念に駆られた哀れな観客が面白くなくても笑ってくれるのにあぐらをかいた三流芸人が跋扈しているだけだ。またそんなのに限って威張っている。阿呆らしいったらありゃしない。

なんか似てるね、どんなヘボ野球やろうが一生懸命スクワットやってくれるファンにあぐらをかいてまったく精進しない選手の集まっている野球チームと。なんか赤い帽子被ってないかい?

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“続・昭和は遠くなりにけり” への1件のコメント

  1. Seniorのアバター
    Senior

    アホの坂田を私が最初に見たのは吉本新喜劇ではなく関西ローカルのドラマだった。
    そこでアホの坂田は真面目なお父さんの役だったので真面目なイメージだった印象がある。
    だから吉本新喜劇で見たときは「えっ?」となったがこれぞプロやね。
    そういう人だと思い込ませることができるのだから。
    新喜劇といえばチャーリー浜・島木譲二・井上竜夫ももう旅立たれたね。
    たくさん笑わせてもろたからなんか寂しいわ。
    まあ私は漫才は「海原やすよ・ともこ」なんかはエエと思ってます。

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