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つれづれ よしなしごと

1989年1月15日。

どうも職場の腐りっぷりへの怒りで頭が疲弊してしまっていたのか、一昨日昨日とまたしても夜のくつろぐべき時間に睡魔が襲ってきてしまった。昨日などゆっくり大相撲中継の録画を見ようと思っていたところが気がつけば朝の3時である。よっぽど、心身が疲れていたらしい。まあ、だからといって昨日は何も書くことがなかったので大勢に影響はないのだが。我が娘は既に進学先が決まったのであるが、学校の方針で共通テストを受けさせられて帰ってきたところである。

ところで、しつこいようだが、2022年3月1日から2024年2月28日までの曜日の並びは、1988年3月1日から1990年2月28日のそれと一致する。したがって、1989年1月15日もまた日曜日で、共通一次試験の第二日が行われていた。この試験、共通一次試験の最後となったのであって、生物の出題がカオスで結果得点調整がなされたことで歴史に残るのだが、正直言ってその試験のことはよく覚えていない。少なくとも、第一志望の大学合格の礎になり得なかったことでしか記憶にないのだ。まあそれはさておき。

試験後、第二志望の大学をどうするかを考えた。本来狙っていたのは別の大学だったのだが、第一志望の大学受験がある程度リスクがある以上、第二志望のリスクは極限まで減らしたい。そこで検討した結果、狙いを定めたのが広島大学だったのである。それまで、広大などという選択肢は頭の片隅にさえなかった。正直、体のいい広島旅行が出来るという程度の気持ちだったのである。まあその割には、並行した私立大学受験は関関同立に背を向け、在京の都の西北の2学部だけだったのだが、これはあくまで腕試し、まあ私学には行けないなという思い(なんせ当時は国立大学と私学では学費が桁違いだった)があったからである。

その後のことは、まあ過去何度も書いたところであって、遊びに行ったはずの広島にそのまま引っかかってしまったのだが、そのことはもちろん後悔はしていない。出会った人はみんないい人だったし、思いのほか街にはなじめたから。こんな街にはもういられないと思うようにあったのは、もっと後の話である。だから、今日という日は、これまで眼中になかった広島という街と縁が出来るきっかけとなった記念日なのである。

さらにその後、二度も自分を振った大学(さらにいえば弟も受験に失敗している)にリベンジを果たし、そこから広島に戻った1995年もまた今年と曜日の並びが同じなのである。その後東京住まいだった3年と11か月を除いてずっと広島に住んでいるのだから、広島に縁が出来た契機となった年がいずれもカレンダーが同じというのが、感慨深いのである。さらにいえば我が娘は今年逆にはじめて広島を離れる。もちろんこの先のことは誰にも分からないが。

さて、1995年の曜日の並びが今年と同じであったということは、いうまでもなくある大きな出来事が今年と同じ曜日であったということになる。そのことについては、日を改めたい。

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つれづれ よしなしごと

戦いすんで日が暮れて。

何度も書くようだが、今年3月1日からの日にちと曜日の並びは、あの恨めしき1988年と同じである。私自身は現役合格ならずに京都は京都でも駿台京都校とその学生寮との往復という灰色の生活を送り、その間に南海ホークス身売り、福岡移転という苦汁をなめた。ということもあってか、この間の記憶はまったくといっていいほど、ない。日曜日に当たっていた12月25日に大阪北予備校主催の「共通一次ファイナル」を受けに行った帰りに、半ばやけくそで梅田に出た破戒については、だいぶ前に書いた。

そして明けた1989年、1月7日に御代代わりという大変動があった年、またしても本命校の合格ならず、広島に落ち延びた。そのこと自体は決して悪いと思っていないが、第一志望の学校に入れなかったというつらさは、未だに消えない。それだけに、娘が第一志望校に、推薦とはいえ合格したことは、本人のためにもよかったと思うし、親としてもほっとしたのである。私の受験の勝負弱さを引き継がなかっただけでもよしとしたいところだ。

今から思えば、現役の年に早慶関関同立、いや私学を手広く腕試しででも受けていれば、どこかにひっかかったかもしれない。私の時代は指定校推薦はもちろんあったが今で言う総合選抜のような推薦入試はなかったので、一発勝負でなら勝てたのかもしれない。ただ、それも詮無い話だ。親に迷惑をかけたくないという思いから国立一本に絞ってしまった(当時は国立大学の学費は今と比較にならないほど安かった)のだが、それが裏目に出てしまった。

でも、今から思うに、多分私には必死さ、何度も言うようだが「死に物狂いの必死さ」が足らなかったのだろうと思う。それを勝負の神はよく見ておられたのだろう。まあそれに引き換え娘はよく頑張っていた。ペーパーテストの実力なら高3時点の私のほうが上だったと思うし、どう贔屓目に見ても国公立は厳しいし、私立も一般入試に回るとどうかなと思っていたが、よくそこまでにけりを付けたと思う。

これから4年間娘は関西での学生生活を送るが、本当にその点はうらやましい。これは正直なところ、学環境という点では絶対に広島より関西の方がいい。実はそのこともあって私からは京都の大学をまず薦めていたのだが、まあそこから先は本人の選択だからやむを得ない。

さて、まったく話は変わるが、我が家の戦いが終わったこともあって、ようやくゆっくりと外で酒を酌み交わせる機会が持てそうだ。ちょっと忘年会には間に合いそうにはないが、来年年初に大新年会をやりたいと思う。と、いうわけで、興味のある方は、ぜひこちらから御連絡いただきたい。

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